私は、いかにいい加減な会議が無駄であるかをずっと唱えてきた。
いい加減な会議とは、一言で言えば、「決まらない」会議のことである。よくあるパターンが、会議の場を教育の場にしようという馬鹿な発想がある。若手に参加させて、発言の機会を与えるというものである。
なぜ、会議を教育の場にしようとするのか。全く無知な考え方だ。「若手に参加させて、発言の機会を与える」というのは、綺麗事で、上司の逃げである。能力のないリーダーほど、このような考えをする。自分の能力の無さを部下の教育という名のもとに隠そうとするのである。
そもそも、会議とは何のためにするのか?
会社の会議というのは、戦略会議である。どうすれば、業績が上がるのかを決める会議が戦略会議である。企業である以上、戦略会議が最も重要な会議であるはず。では、戦略は、だれが決めるのか。だれが責任を取るのか。
それは、当然その会議を主催するリーダーである。
つまり、リーダーが戦略を決める、あるいはリーダーが決めた戦略を徹底させる、または、リーダーが戦略について理解させるための会議が、戦略会議ではないだろうか。
こう考えると、会議を教育の場とする変な論理が入る余地は無いはずである。会議を教育の場とするなら、なぜ、会議の場でするのか意味不明である。教育とは、社内の身内の集まりである会議の場でするのではなく、現場の最前線でOJTでするのが適切ではないだろうか。
会議の場でするということは、実は、リーダーが現場に対して自信がなく、会議という集団の場を利用してカムフラージュしているだけである。
そのようなリーダーは、会議でリーダーシップを取らない。若手に発言の場を与えるという建前を理由に、若手の発言を正したり、もしくは「参考になった」などと自らの責任を若手に転換する。教育の場にするというのは、やや言いすぎの感があるが、そこまで言わないにしても、会議を報告の場にしているというのはもっと多く発生していることであろう。
会議を報告の場にしているのは、本質的には、教育の場となんら変らない。自分が現場を把握できていないので、現場に報告させ、その報告を元に現場を把握しようというものである。これは、現場にとっては迷惑な話だ。
たった一人のリーダーが現場を知らないために、多くの忙しい部下たちがそのリーダーのために時間を費やすことになる。そして、そのリーダーは、現場を叱ることで、自分の責任を現場に押し付けようとする。こんな会議は止めたほうが良い。
自分の責任を隠す奴は大嫌いだ。
だから、責任者であるリーダーが物事を決められない無駄な会議など無くしてしまえと言っているのだ。なのに、能力のないリーダーほど会議好きなのも困ったもんだ。
だから、そんな人は会議を無くすことはできないし、しまいにはコミュニケーションが大切と会議を増やそうと馬鹿げたことをする。会議でリーダーシップを発揮して物事決められないのである。
リーダーの無能さというのはこのような場面で表れるものだ。戦略会議を行えないリーダーは、会議など開かないほうがましだ。
会議ほど時間的コストがかかるものはない。たった一人の無能なリーダーが遊んでいても大したコストではないが、そのリーダが10人を招集して2時間の会議を開くと、3人日ものコストに換算できる。どれだけ会議が無駄なことか思い知らなければならない。
有能なリーダーが戦略会議を開いたとしても、これだけのコストが掛かるのだから、できれば会議など開催するより現場作業を優先させてあげたほうがずっと成果はあがる。
3人日を超える成果があげられないような会議であれば意味がない。開催する以上、リーダーが責任を持って、リーダーの考えを伝えたり、リーダーが現状を打破する決定を下す会議にしなければならないと思う。
また、会って議せずとか何とか言って、会議を民主主義的に捉えるのも論外である。企業の会議である以上、戦略会議である前提を忘れてはならない。会社の根幹である取締役会という会議を頂点に、全ての会議が「決める」ための、そして誰が責任取るかを明確にするための会議でなければならない。
ボトムアップで下の意見を聞くのは会議ではなく、普段から現場に足を運んで自ら感じると日常的な行動であり、会議で行うものではない。会って議せずと言って、みんなでワイワイお手て繋いで仲良しクラブをするほど、その会社は余裕があるのか。甚だ疑問だ。そんな会議やめちまえ。
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投稿者 :堀田信弘: 2005年2月15日 22:43