一流の料理家は、一流の味を知っている。何が美味しくて、何が一流かを知っていなけば、一流の味を作ることはできない。だから、有能な料理家ほど、暇を見つけてはお店を周り、本物の味を探して求めている。
一流の料理家は、一度食べた味を忠実に再現すること試み、そして、次にその味を越える自分流の味を創り出すのである。
ビートルズも含め、一流のアーティストは、はじめはみなコピーから練習している。素晴らしい曲の、難しい楽曲の練習を行い、それをクリアーすることで初めて、自分流の創作に挑戦できるのである。
一流を知り、本物を知ることが、挑戦への第一歩なのだ。考え方や生き方が多様化する現代では、これが一流だという一意的なものはない。
自分が一流だと思えるものが一流なのであって、それを他人がとやかく言う必要はない。だから、自分が一流だと感じ、それを追い求め、それを追い越そうとする人は、何れ必ず、自分が決めた一流に近づくことは間違いない。
しかし、自分が決めた一流が、世の中で通用する一流かどうかは疑問である。恐らく、到底一流ではないと思っていたほうが間違いない。
つまり、自分の身の周りで見たり、聞いたり、経験した程度では、到底本物の一流には出会うことなど無理だと確信していたほうが良い。いやそうしなければダメだ。
だから、常に一流を求め、色々な経験をしたり、旅をして見聞をしたりすることが重要なのである。一流を追い求めることが、一流への道なのである。常にまだまだという気持ちを持って、追い求める。もっともっと上には上がいる。その人と出会えることが、一流の仲間入りができるというものだ。
言い換えれば、それは謙虚さだ。謙虚さとは、控えめという意味ではない。自分をまだまだと戒めることができる向上心のことである。
強い向上心が謙虚さだ。私は、自信とは、「謙虚さ」という輪の中の一部を指していると考えている。「謙虚さ」という輪を越えた自信は、その人の傲慢さ、能力の無さを表し、もしリーダであるならば、その考え方、行動は既に暴走していると言えよう。
つまり、「私の考えに間違いない」という自信は必要なのであるが、その根拠は小さな井の中で考えられたことであって、自分の考えが一番というのは正しくない。それは、自信というよりは無知というほうが正しいであろう。
自分の考えがベストと考えるところからボタンの掛け違いが生まれている。本当の自信というのは、「謙虚さ」の中で出された結論のことであって、ベストではなく、その時点でのベターの考えである。私は、ベストよりモアベターで考えられたほうがより信頼感がある案だと思っている。ベストほどうさん臭いものはない。
視野の狭い範囲で考えられたことが最善の策だとは思えない、間違いないとは絶対に言えないからだ。
リーダーは、モアベターの精神が重要だ。今の数字に満足せず、今の組織、今の風土、やり方に常に疑問を持ち、いつも不安で、いつも心配で、いつも問題意識をもつべきである。それは、自分自身の能力についても同様である。
自分はまだまだだという気持ちがなければ、向上しない。それが、私が言う謙虚さである。
謙虚さの輪が大きい人は、その一部である自信も当然大きくなる。他人から見れば、自信過剰に見られるかもしれないが、それは、空元気や張ったりとは意味が違う。本物の自信だ。謙虚という輪の中のことなら絶対に負けないという信念の表れである。
そのことを勘違いしている人が実に多い。絶対に負けたくないという負けず嫌いは、時にして空しく思われることがある。それは、その人よりも上の能力の人が見れば、一目瞭然だからである。自分がやってもいないのに、自分ならできると空想力を自信と勘違いしている。
このようなタイプには、人はついてこない。
特に、部下という存在は、実は、リーダーの自信よりもリーダーの謙虚さに力強さを感じていることが多い。リーダーが空回りする時は、自信をかざした時である。リーダーシップというのは、リーダーが確信を持って判断したことであり、部下が心より納得できることなのである。
リーダーシップは、自信の表現とは違う。謙虚さというその人の経験や知識の中で表現された、モアベターな確信なのであって、空論や勢いで言ういんちきな力強さではないのである。これがよく勘違いされる。
無能な人が力強さを持つことほど悲惨なことはない。リーダーには力強さが必要であるが、人の心を察知できない繊細さがない人には、部下は心から従おうとは思わない。人は、心から動かなければ、決して能力を発揮できるものではい。
エジプトのピラミットが造られるとき、力持ちの大男がリーダのチームと、ひ弱な男がリーダーとなったチームが競わされた。
大男のリーダーは、部下にムチを打って、「俺なら動かせるのになぜこんな石が運べないか」と怒鳴りつけた。一方は、ひ弱なリーダーのチームは、リーダーも一緒に汗を流して石を運んだ。勝ったのは言うまでもない。
リーダーが最も嫌われるのは、ダメだしをすることである。部下の提案を一蹴することは、一生懸命にやった部下にとってこの上もない屈辱である。勿論、一生懸命にやっていない部下を叱ることは重要であるが、それを素直に聞けるか否かは、その上司の謙虚さがあるかどうかだ。上司が傲慢であれば、どんなに上司の言うことが正しくても、部下は動かない。
リーダー自身が何もせず、ただ口だけで部下に文句を言っても、不満だけが募り、誰も動かないであろう。リーダーができないことを、やれと言っても、それなら自分でやってみろと思われるだけ。
リーダーというは、人を心で動かせる人だ。人を心で動かすには、感動を与えなくてはならない。人に感動を与えるには、自分が多くの感動を経験していなければならない。感動するということは、謙虚さの表れである。
謙虚さという向上心が、何かを知ったり、何かに気づかせてくれたり、何かを感じさせてくれるからである。謙虚さを忘れなければ、自信はもっと正確で大きなものになるだろう。
正確であれば、人は心より認めることができるはずだ。もし、あなたが、人から認められないとしたら、それはあなたが人を認めていないからでは?
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投稿者 :堀田信弘: 2005年3月17日 07:09