【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


求める人材  「活・喝・勝」


顔が人格を表す

顔の良し悪し、綺麗、ブサイクではなく、顔には人格が表れる。正に顔は心の鏡だ。「顔じゃないよ心だよ」というが、その心を映しているのが顔だから、人は顔を見て好き嫌いを抱くのは当然のことである。

本当の意味で「顔じゃないよ心だよ」であるならば、顔と心は別々であるはず。角刈りで恐持てのいかにもヤクザ風の風貌をしていて、それでいてケアマネージャーをやっているような人はいるのだろうか?

もしいるとしたら、そのケアマネージャーは、何のために角刈りにしているのか。恐持ての風貌は、ケアマネージャーにとって、どんなプラスをもたらしているのだろうか。甚だ疑問である。もし、自分の顔が仮に恐持てだと自覚していたら、プロのケアマネージャーとして、少しでもやさしさをかもしだす努力をするのが当然であろう。

心より、介護の仕事にやりがいを感じ、奉仕の精神で、手を差し伸べるやさしい慈愛の持ち主であったら、その人の顔には、やさしさが映し出されるはずだ。

タレントでもない限り、髪型や化粧は自分で整える。つまり、自分の顔は、自分で作っているのである。床屋に行って、坊主ではなく角刈りを頼むというのは、顔をりりしく見せたいという心の表れである。

もしかすると、その人には、角刈りがあっているのかもしれない。でも、その時点で、自分を客観的に見ることはもはやできなくなっている。角刈りにすることと、プロのケアマネージャーとしても意識にギャップが生まれているのだ。

「見た目でなく、中身だ」という人がいる。では、中身とは何なのか。見た目と中身は違っても良いという意味なのか。

例えば、営業マンだとして、商品知識もあり、営業トークも抜群だとする。では、そのような中身がある人が、武将ヒゲを生やし、サングラスをして、ジーパン姿で、子供の教材を売る飛び込み営業ができるだろうか?「見た目ではなく、中身だ」という人は、試して見れば良い。

私も「見た目ではなく、中身だ」と思っている。恐らく、見た目と中身のどちらを選ぶかと言えば、全員が中身と答えるだろう。

それなのに、なぜ、営業マンがそのような姿では上手く行かないのか。

それは、見た目も中身の内だからである。つまり、見た目は、中身を表しているからである。親身になって、本気で子供の教材を売る人が、なぜ武将ヒゲを生やす必要があるのか、なぜサングラスなのか。本当に良い商品で、お客さまに奉仕の気持ちで、「一人でも多くのお客さまに、是非この商品を理解して頂きたい」という気持ちがあったら、少しでも、多くの人に話しを聞いてもらえるような努力をするのが自然ではないだろうか。

最近、技術者の中に、「スーツ不可、私服での業務を望む」や「長髪で」というのが出てきている。実際にあって見ると、彼らの大半は、中身で勝負しようという気概が感じられる。なるほど、話しをして見ると、そのようなタイプの人は、総じて技術力には自信がありそうである。

私も、スーツが良いとは思わない。仕事をする上で、最善の格好であれば、良いだけである。私服が業務をする上で、最も効果的なスタイルであれば、結構である。

恐らく、日本以外の技術者は、スーツなど着ていないのが多いかもしれない。技術者にスーツが必ずしも必要だとは思わない。快適な服で、作業効率があがるのであれば、そのほうが良いであろう。

しかし、TPOに合わせることができないというのは問題だ。自らが「スーツ不可、私服での業務を望む」と宣言するほど、有能なのだろうか。有能というのは、技術力ではない。技術者として有能なのだろうか?そういう彼らは、自分の父親の葬式にも、ジーパン姿で参列する勇気があるのだろうか。

恐らく、わがままの表れである。長髪で茶髪も、それ自身が悪い訳ではない。TPOに合っているかどうかだ。それを無視して、彼らが主張する論理は、仕事よりも自分の格好を選択するということだ。つまり、仕事の中身より、自分のスタイルを優先するという矛盾した考えである。このような技術力がある人に限って、客先でトラブルを起こす。わがままが故に、組織内でゴタゴタを起こすのである。

このように服装や髪型などの身なりは、その人の考え方、性格を表現している。本当に仕事のことを考えているならば、スタイルを優先するよりも、TPOを優先するはずだ。それができないというのは、どこかがおかしい。

さらに、顔というのは、身なりよりも、もっと人格を表すと言っても良い。どんなに身なりを整えても、顔に表れる人格は変えようがない。

人の顔は、成人するまでは親から貰ったものである。しかし、成人後の顔は、自分自身が造ったものだ。特に、目及び目の周りのシワは、日常生活で使われた筋肉の動きによって形成されるものである。その人の歩みが顔に表れるのだ。

何よりも自分の顔を客観的に捉えることが重要である。例えば、きつい目をした人がきつい態度を取るから、その人の印象はきつく思われるのである。きつい目をしていると感じるなら、きつくないように振る舞いをすることである。

そのようなことができる人は、実はきつい目をしていない。きついと自覚していないか、自分でもきついと思っており、その思われたくないと考えている人の態度は、必然的にきつくなる。自分の顔は自分で作っているのだ。

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投稿者 :堀田信弘: 2005年3月29日 20:07