相対評価と絶対評価という評価制度がある。
これまで、多くの小学校では相対評価が使われてきた。相対評価というのは、クラスごとに、上位5%程度が5、下位5%が1、上位20%が4、下位20%が2で、残りの半分が3というものだ。これは、能力の差がそれほどないことを前提に、半分程度を普通を見なし、残りの半分に優劣をつけようというものである。
サラリーマンの世界でも、ボーナスの原資を基準に考えた場合、どのようにその原資を配分するかと考えるため、相対評価制度が多く用いられてきた。これは、原資を基準に考えた制度であって、各評価毎に枠を設けることで、総額管理をし易くしたものである。
相対評価制度は、優秀な人が数人出た場合、人数枠を越えることができない。また、逆にそれほど成績が悪いわけでなくても、必ず最低の評価をしなくてはならないという問題がある。さらに、母数が少なければ、相対的に人数枠を設けることができないなど、問題点も多い。
しかし、半分の人材に対しては、必ず優劣の差が付けられ、格差を持たせることができるため多くの企業では未だに利用されている。
一方、絶対評価制度は、成績が良ければ5、悪ければ1というように、5に対する基準を設け、
基準をクリアーしていれば人数には関係ない。この評価制度が、企業に導入されたのは、能力評価から成果評価に変わったからである。
成果評価は、能力評価と違って、顕在化した結果に対して評価するため、人数枠を設けるような相対評価は適用できなかった。
能力評価の場合は、潜在的な能力ややる気など、内面的な評価が中心となる。このため、上司の主観が大きく左右するため、曖昧でグレーな評価制度である。これを改善するため、360度多面評価などの制度を導入しているところもあるが、何れにしても人間が評価するには違いないため、好き嫌いも含めて感情が影響してしまうことには変わりない。
絶対評価の場合、問題となるのは、評価基準の設定である。営業であれば、いくら売れば何ポイントというような数値で表し安いが、多くの業務の場合、数値化することは難しい。例え数値化できたとしても、点数稼ぎに走る傾向が現れ、業務や事業全体として向上するかは疑問である。このため、絶対評価も上手く運用できないのが実情ではないだろうか。
絶対評価が上手く行くケースとして代表的なものは、プロ野球などのスポーツの世界である。特に、陸上のようなタイム競技では、結果がはっきりしているためそのままズバリ評価できる。しかし、野球のようなチーム競技となると、単純に点を取ったからというだけではない。
チームにどれだけ貢献したかを点数化して管理している。
このような絶対評価の野球選手の場合、ケガをして試合に出られないのも、自分の責任である。例え練習でケガをしても、試合でボールが当って入院しても、代わりの人が出場すれば、その人が点を稼ぐ。このように、絶対評価というのは、プロとしての意識が高くなくては導入できない。
だが、絶対評価でも相対評価でも、必ず評価する人間がいるという意味では変わらない。評価する人がいれば、評価されるように動き、自分をアピールするだろう。
しかし、経営者の場合、評価する人は誰もいない。強いて言えば、お客のみが評価する。その評価は、赤字になるか、黒字になるか、業績を伸ばしたかに表れる。経営者たるものは、結果が全ての評価である。
例え、休暇中の事故で骨折しても、自分の子供が病気になっても、自分の親を看病しなくてはならなくなっても、全ては結果責任である。自分や自分の家族を優先するということは、会社で働いている社員の家族を犠牲にすることである。非情に思われるかもしれないが、人の上に立つということは、自分や自分の家族を犠牲にできないと資格はない。
結果だ。時に結果とは、運に左右されることが多い。運が悪い人は、ここ一番の時に病気になったり、家族がトラブルに巻き込まれたりと周囲の影響を受けることがある。
しかし、それも結果なのだ。言い分けもできなければ、仕方ないでも困る。経営に仕方ないことはない。例え大地震が来ても、全てが結果責任である。
経営者の評価は、顧客を通じた業績という結果以外に何もないのだ。アピールもいらない。起こったこと全てが結果だ。運が悪ければ、運が良い人が経営するだけのこと。運も実力のうちだ。評価を気にするのは、サラリーマンまで。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。
この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。
投稿者 :堀田信弘: 2005年3月31日 00:29