【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


世の中について  「活・喝・勝」


権利と義務

日本国憲法は、明治22年2月11日(1889年)の大日本帝国憲法の施行から、58年後の昭和22年(1947年)5月3日に施行された。

大日本帝国憲法(明治憲法)は、東アジアで最初に制定された憲法で、イギリスの立憲君主制と同様に、天皇を元首とする自主制定憲法であった。

皮肉にも、東アジアで最初の近代憲法を持つ日本は戦争に突入し、大日本帝国憲法は58年の歴史に幕を下ろした。

マッカーサー元帥は、1946年の2月3日日曜日夕方、GHQ民生局のケーディス次長を呼び出し、「今週中に新憲法を作れ」と命じた。

ケーディス次長の草案は命令どおり1週間後の2月10日に完成し、内閣は翌週に受け入れを閣議決定した。

たった一週間でアメリカ人によって作成された103条からなる英語原文の日本国憲法が制定されたから、今日でちょうど58年がたった。

日本人が作った大日本帝国憲法による58年間と、アメリカ人によって作られた日本国憲法による58年間。

憲法第三章に「国民の権利及び義務」というものがある。第10条から第40条まであり、そのほとんどが、「....(権利)を有する。」となっている。「...義務を負う。」とあるのは、第26条の教育の義務と、第27条の勤労の義務、第30条の納税の義務の3つだ。

選挙権のように、これまでは国民の権利の獲得が大切であった。権力を持つ国や天皇、一部の貴族などの特権から、国民にも広く権利を持たせようという意図があったに違いない。

しかし、現在はどうか。せっかく有した権利を自ら放棄し、学校にも行かない、仕事にも就かず、
税金も納められない義務違反者が多いこと。義務化されていない選挙権などは、国民の3割程度しか責任を果たしていない。

最近の個人情報保護など、プライバシーやプライベートを優先する志向が強まり、個人主義が横行している。学校に行かない子供も自由で、子供を叱らない親も自由だ。自由という権利は、完全に義務や責任をないがしろしている。

義務を増やすことを望んでいる訳ではない。本当の自由主義を考えるなら、義務は少ないほうが良いだろう。ただし、その自由における責任はあったほうが良い。

選挙に行かないのも自由だし、年金を払わないのも自由で良い、しかし、その責任として、車の免許が更新できないとか、パスポートが取得できないなどの対価があるべきではないだろうか。

義務を求め反則者から罰金をとるのではなく、ある権利に対し、一定の要件をつければ良い。取り締まるのではなく、この権利を行使したければ、この義務が果たしていなければならないとすれば、義務に対する責任が明確になる。

義務を果たしているほうが少数では国が成り立つはずがない。でも、このような国にしたのは、
アメリカによって作られた憲法のせいではない。

その内容を変えたければ、憲法96条に国民の過半数の賛成があれば改正できるとある。たった1週間で作られた憲法は、58年間も変えることができなかった。第3章を見る限り、権利と義務は、ギブアンドテイクの関係にはなっていない。

それだったら、権利を主張したほうが良い国家にならないだろうか。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。

この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。

投稿者 :堀田信弘: 2005年5月 3日 14:53