「もしもし、○○会社、××ございます。」と明るく電話応対していた会社があった。
私は、以前から、会社における教育の成果は、電話対応に現れると思っている。
マナー、サービスに関する教育が徹底しているところでは、電話応対が実に素晴らしい。初めて話す相手、しかも顔も見えない相手が、明るい声で、テンポ良く応対してくれるだけで、その会社全体のイメージまでもが変わってしまう。
最近では、社員証を胸につける会社が増えてきたが、以前は、ホテルなどの接客業でしか見られなかった。社員証をつける効果は、その会社の短たる歯車の一員ではなく、その会社の看板を背負っている自覚が生まれることである。
社員証をつけていなければ、お客さまが訪れ、対応するときに、その店の一店員として対応することになる。お客からも、そこの店の○○さんに対応してもらったのではなく、お店の店員に対応してもらったという感覚が生じる。
文字通り会社の看板を背負っている社長の対応はそうではない。○○社とだけ名乗って接客する社長はまずいない。
○○社の社長の××と名乗って、「私がここの責任者です」という接客をする。
それと同じ効果を期待しているのが、社員証だ。「私が担当の○○です」と言って接客すれば、お客は、この人は責任を持って対応していると感じるのである。もちろん、接客する側の店員も、自分の名を名乗った以上、手抜きはもちろん、会社の看板をけなすことができないと戒めを感じるはずだ。
このことは、電話対応でも同じことが言える。私が知る限りの東証に上場している企業や、銀行、一流ホテルでは、必ず、自分の名前を名乗っている。
以前、あるメーカのお客さま相談窓口の電話で、お客さまに暴言をはき、そのお客が録音していたやり取りの一部始終が流されて、その企業のイメージが失態したことがあった。あれは、顔が見えない電話で、一対一のやり取りだから、そこに気の緩みが生じたのであろう。
もし、あのとき、必ず担当者は名を名乗るよう指導されていたら、恐らく暴言は出せなっただろう。
一流ホテルのトイレには、「ここの清掃担当は、○○でございます」といったプレートが置かれている。
いわば、お客さまに社員を教育してもらっているのである。常に、お客さまの目を意識させることで、上司がいちいちチェックしなくても、お客さまが日々チェックしてくれるから、そこのトイレはきれいなのだ。これは、お客さまにとっても、清掃員にとっても良いことである。
一生懸命に綺麗にしたトイレは、誰が清掃しているかを表記するだけで、お客も綺麗に使おうという意識が働く。綺麗に使ってもらったトイレは、清掃員にとっても清掃が楽に済む。
このように、お店や、会社の看板に、個人という担当者を併記することで、サービスの向上が図られる効果は大きい。
ところが、冒頭の会社は、4月からの個人情報保護法を理由に、個人名を名乗ることをやめてしまった。個人情報保護法の誤った解釈、運営については、次回投稿することにするが、つまり、接客より社員個人を優先したのである。
会社にとって、従業員は大切だ。しかし、お客よりも従業員が大切であったら、お客は離れて行く。
その証拠に、その会社に電話すると、「はい、○○社です」という表現に変わり、明らかに声のトーンが低くなっている。それは、個人名を名乗らないくても良いと言われたため、それまでの縛りが解けてしまったのである。
教育とは、ある意味、その会社の風土を作る"縛り" の連続だ。教育をしていないところには、"縛り"は生じない。
"縛り"が外れるというのは、ある意味緊張感が抜けるのに等しい。お客とのやり取りのすべては接客だという一種の緊張感があるときは、自然とテンションを上げ、努めて明るくしようと声のトーンが上がるものである。
それが、声のトーンは下がり、これまで「○○でございます」といっていたのが「○○です」と言葉の語尾まで変わってしまう。
たった一ヶ月で劇的に変化した対応であるが、経営者がこれに気づいていないことが問題だ。それは、経営者が接客、サービスに関して真剣でない証拠であろう。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。
この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。
投稿者 :堀田信弘: 2005年5月11日 12:38