東証一部に上場しているワタミ株式会社(2005年4月ワタミフードサービス株式会社より社名変更)の渡邉美樹社長は、私が尊敬する経営者の一人である。
渡邉社長を知ったのは、「社長が贈り続けた社員への手紙」という本だった。
98年頃である。
渡邉社長は、佐川急便でアルバイトをして資金500万円を貯め、「つぼ八」とフランチャイズ契約して独立した人だ。
次々と店舗を拡大し、居食屋『和民』 を展開、遂には東証に上場するまでになった。
「社長が贈り続けた社員への手紙」という本は、渡邉社長が書いた本で、社員へ送った40篇もの手紙をまとめたものだ。
これらの手紙は、「社内報メッセージ」「給与メッセージ」 として、社長が接客態度で感じたこと、気がついたこと、日々の出来事などが書かれている。
その内容は、ほんの些細なことでも、繊細に感じとり、具体的に改善を指示するようなもので、しかも、話言葉での語り口で熱く書かれている。
その本を手にした当時、私は、企画部という部署で経営理念の浸透化図る役目を負っていた。
社員に自分の会社の経営理念を理解してもらい、その理念のもと、各部門が果たすべき役割をそれぞれに考えてもらうことが、会社が一丸になれるものということで推進していた。
その当時、あらゆる会社の経営理念や社是、行動指針などを調べ、社長が掲げた会社の理念について理解しようと懸命に試みた。
そんな頃、「社長が贈り続けた社員への手紙」と出会い、日々の出来事や社員の問いかけについて、経営理念からぶれない社長自身の考えを読んで、なるほどこれが経営理念かと思った。
人の会社の経営理念なのに、その会社が目指すべきサービスの理念が、手を取るようにして把握できたのを覚えている。
その時に判ったことは、会社の経営理念というのは、社長そのものでなくては行けないんだということだった。逆に言えば、社長の生き方そのものが経営理念なのだと感じた。
それは、創業社長であれ、二代目社長であれ、同じことである。二代目であれば、その意義はむしろもっと大きくなり、伝道者としての役目を担うのである。
例えていえば、ナザレのイエスを救世主キリストとして、イエスの死後、その弟子達がキリスト教を普及されたのに近い。
パウロがキリスト教の理念的基礎を築いたのと同様に、ひとつの方向性に対し、その時の指導者が具体的に自分の考え方を示すことが、理念の浸透化になるのだ。
経営理念と社長の信念は、同一でなくてはならない。同一でなくては、社長であってはいけないのだ。同一だから、その理念をどう自分が解釈し、どう具体的に行動するか、それは、全て社長の行動となって現れるのである。
もし、経営理念が薄っぺらなもので、社長の行動と一致しないものだったら、浸透化するだろうか。
もし、経営理念がしっかりしていても、社長の信念が理念とあっていなかったら、社員は社長の考えに耳を傾けるだろうか。
社長の考え方、行動の仕方が、理念の伝道者として、同一であったなら、経営理念の浸透化運動などしなくても、社長の言うことが理念なのだと理解されるだろう。
つまり、社長の言っていることと、やっていることを一致させることが、会社の経営には最も重要なのである。
私がこうして、ブログや会社のイントラ、メール等で社員へ語りかけるのは、渡邉社長の書いた「社長が贈り続けた社員への手紙」が元になっている。
私の考えが正しいかどうか、結果が上手くいくかどうかは判らないが、私自身の考え方は、色々な形で表現して行きたい。
そういう意味では、イエスの考えをパウロが具現化したのと同様に、経営理念がありきではなく、社長の信念がありきで、経営理念が後からついてくるのかもしれない。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2005年5月31日 22:03