なぜ自分だけがこんな思いをしなければならないんだ。
こんな辛い思いはしたくない。逃げ出したい。
人は、生きているだけで色々な壁と出会う。壁と出会うとき、その壁は、間違いなく自分の背丈より高い。なぜなら、自分の背丈より低いのは、壁として出会わないからである。
だから、壁と出会った時、その存在に恐れ、越えられないのではという不安にさせられる。
しかし、その壁は、他人から見ると、どんなに高い壁でも、決して恐怖心は与えない。自分の目の前に現れた時だけ、その壁が立ち塞がるのである。
壁の大小は人それぞれ違う。他人から見れば低いものでも、壁は自分の背丈を越えるものだから、他から見て高い低いという問題ではない。
小学生にも壁は現れる。大人から見れば小さな壁だが、子供の成長にとってはとても重要な壁だ。
運動会で負けた悔しさもあれば、初恋の人との失恋もある。誰にでも壁は必ず現れる。どんなに壁から逃れようとしても必ず壁は現れる。
引きこもれば、今度はそれが壁となる。
壁は、自分が何かをした時にしか現れない。
ロールプレイングゲームで、主人公が敵の怪獣をやつけるとレベルがひとつあがる。それが壁を越えた瞬間である。しかし、その壁を越えた瞬間から、次の壁を越えるための道のりが待っている。必ず、次の壁は、その前の壁よりも高い。壁は越えるためにある。
人生も同じだ。
運動会で負けるのは悔しい。でも、一位になった人もその時だけで、その人が競技大会に選ばれて出場すれば、もっと早い人たちと走ることになる。どんなに早い人でも、オリンピックで金メダルを取らない限り、必ず負けを経験する。
オリンピックで金メダルをとっても、次のオリンピックに出場できるかどうかはわからない。年齢の壁と戦うことになる。
神様は、人に越えられない試練は与えないという。
壁は、自分の背丈を表しているから、最初から越えられない壁は目の前に現れないのだ。自分がこの壁と出会ったのは、自分がその前の壁を見事に越えることができたから、次への挑戦権が与えられたのだ。
あなたの精神力は、あの時のあの出来事を経験したから今ここにある。あの壁を越えたお陰で、あなたはこうして生きているのだ。もし、あの時、壁を越えられなかったら、あなたはロールプレイングゲームと同様に、いまだにあの時のレベルをさ迷っているだろう。
もし、あなたが今、まさに壁に当たっていると感じている人だったら、それはラッキーだ。あなたが決断して歩み始めたコース上に、目の前に未来を示す輝いた壁が現れたのだ。それを越えると、次の壁まではしばらく時間がかかるだろう。ほんの少し背伸びをしてみると、壁の向こう側が見え隠れする。
壁の向こう側には、希望の光が指している。
壁は、越えられると思った瞬間に越えられるのであって、越えられないと思っているうちは越えることは出来ない。
背伸びをすれば見える向こう側なのに、大きな壁が現れると背伸びすらできなくなる。
神様は、人に越えられない試練は与えない。
自分の子供が壁に当たった時のように、背中にそっと手を置いて、少しだけ背伸びをする手助けをすれば良い。
それがリーダの役目だ。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。
この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。
投稿者 :堀田信弘: 2005年7月18日 10:10