人事制度の昇進・昇格の考え方には、入学方式と卒業方式がある。
入学方式は、日本の入試制度のように、入学する時に選抜試験を行うというもので、例えば、課長になるには、課長試験を合格した人が課長に昇進する。
これに対し、卒業方式は、アメリカの大学卒業制度のように、必要な単位を取得したものが卒業できるようなもので、入学時は簡単だが卒業時が難しくなっている。課長で言えば、主任を卒業した人が課長で、部長を目指す人たちという位置づけになっている。
入学方式は、"将来"を基準に判定される。上位等級の仕事に対し、どのような考え方を持っており、将来担うことが可能か否かを"期待度"より予測して決定する。
一方、卒業方式は、"過去"を基準に判定される。例えば現在課長の人は、当然課長の仕事をしているのだから、それを完全にこなしているかどうかで判定するので、基準作りが比較的容易である。
しかし、何れの方式でも期待通りの結果にならないは、承知のとおりだ。
入学方式では、期待度で決定するため、決定する側の見る目がなければ将来を見極めることは難しい。卒業方式では、これまでの基準をクリアーしていても、上位等級の仕事ができるか否かは判らない。
これまで、日本の企業は、学校の入試試験と同様に入学方式をとっているところが多かった。大企業では、入社年次毎に振り分けを行い、合格したものを昇格させていた。つまり、これまでの実績よりも試験を重視するというものである。頭の良い人は、試験に合格し出世する。
しかし、試験に合格した人が、課長として立派に振舞えるか否かは別物だ。
これに代わって、最近の成果・能力主義の台頭に伴い、卒業方式を採用する企業が増えた。試験よりも、それまでの実績を重視するため、成果を反映し易い。しかし、営業成績がトップだったからと言って、課長というリーダ職が行えるか否かは別物だ。
結論を言うと、どちらの方式でも上手く行かない。
特に、プレイヤーからプレイングマネージャーになる、さらにはマネージャ、さらには経営者というように、日本では昇格と昇進が一体として捕らえられているが、本当は職業が変わるくらい違う能力が求められるのであって、それを簡単に計ることはできない。
私は、昇進と昇格は別物だと考える。給与が上がるのと、ポジションが上がるのはイコールではない。
職業が変わるのだから、その前の職業の活躍状況では判断できない。ならば、させて見るしかない。人は、役を与えればその役になるということもある。役を与えて、その役が重すぎてしまう人もいる。結果はさせてみなければ判らない。
やりたい人がやれるような手を上げられる環境が必要だ。さらに、やってダメだったときの降格も当然必要である。職業が合わなかったら、元の適していた職業で成果をあげれば良い。そのためには、役に給与が連動しないほうが良い。
アメリカでは、こじきでも子供でも生まれた時から英語をしゃべることができる。そこで生まれたのだから当たり前である。
経営者でない人が、どんなに経営の勉強をしても経営者になることはない。しかし、どんなに能力のない経営者でも、経営者の視点は社員と異なる。経営者なのだから当たり前である。
経営をしてみたいのであれば、経営者になれば良い。どんなに優秀な営業マンでも職業を変わるつもりで、経営の世界に飛び込まなければ、経営者になることはできない。
これからは、サラリーマンが、一段、一段づつ出世して、経営者になれる時代ではない。プレイヤーはプレイヤーで、マネージャはマネージャだ。20歳でも経営者は経営者。経験をすれば50歳で有能な経営者になるものではない。
早ければ早いほうが良い。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2005年7月20日 06:57