郵政民営化の反対派には、民営化そのものに反対するものと、小泉首相の政治手法に反対する者の2種類がいる。
一方、賛成派にも、民営化には反対だが政治混乱を避けて賛成した者もいる。
前々回の本コラムで「党議拘束を無くせ」 と掲載したら、「政党政治なのだから反対するのはおかしい」という内容のメールを頂いた。
私は、そもそも政治家ではないから、このコラムを通じて政策を訴えるものでも、政治思想を伝えるものでもない。「活・渇・勝」は、 リーダのためのコラムだから、私が考える"リーダはどうあるべきか"を勝手に掲載しているだけである。
だから、どこの政党を支持するとか、どの宗教を信仰するだとかといった大義は全くなく、集団化を望んでいるものではない。
「党議拘束を無くせ」 というのは、法案ひとつひとつに対して是々非々で望むのが、本来の民主政治ではないだろうかという投げかけだ。
だから、法案が悪いと思えば反対すれば良いし、良いと思えば賛成すれば良い。これには、与党も野党も関係ないと思っている。
頂いたメールの中で、「それぞれが勝手な行動をしたら、政党の意味がなくなり、首相のリーダシップがとれないのではないか」とあった。
私の考えは、全く逆だ。リーダのリーダシップがしっかりしていて、ビジョンを明確にした法案を出せば、賛同が得られるはずである。 政策や法案の内容でなく、政争で反対だ、賛成だと揺れるのはおかしい。
郵政民営化に対し、賛成した人も、反対した人も、法案の内容について賛否した人は良いが、小泉首相の手法に反対した人や、 賛成派の切り崩しに負けて仕方なく賛成した人は問題である。
特に、首相の手法が気に入らないというのは問題である。
自分のリーダが取る手法が気に入らないのなら、離党すべきである。党内の総裁選挙で選ばれたリーダが気に入らないなら、 総裁選挙を否定することになる。
リーダのリーダシップとは、リーダが思い切った個性を出せることである。リーダがどんな手法を取ろうが、それを否定するということは、 リーダシップを否定することである。リーダがやりたいことをやれるようにしてやるべきだ。その上で、内容や結果について、 是々非々で対応すれば良い。
これまでの日本は、皆の意見を取り入れて、角を無くし妥協をすることが多かった。皆に反対されないように、八方美人が良しとされた。 聖徳太子の和を持って尊しから始まっているのである。
しかし、これからのリーダは、リーダがビジョンや、自分の個性を示し、この指とまれをする。とまる数が少ないということは、 ビジョンも個性も魅力ないということだろう。魅力ない内容は、反対すれば良いだけだ。
そのリーダシップを独断、独裁という間違った表現で非難し、根回しを優先する日本の社会は、いまだに民主主義が未熟なのである。 アメリカのように政府も、会社も、地域も、全てトップダウンでやることは、民主主義でないというのだろうか。むしろ、根回しや妥協、 全体主義というのは、共産主義であり、真の民主主義ではない。
人の意見に耳を傾けることは重要だ。しかし、皆の意見を取り入れるのなら、リーダなど要らなくなる。皆が共同代表となって、 皆で責任を取れば良い。言うだけ言って責任を取らない人よりも、責任を背負っている人の意見に耳を傾けるべきである。 ボトムアップも必要だが、最終決断はトップだし、責任を取るものトップだ。 トップも部下も同じ一票だと思っている浅はかな民主主義感覚から抜け出すべきだ。
私は、手法が気に入らない人が、気に入らない。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。
この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。
投稿者 :堀田信弘: 2005年8月15日 08:40