プレジデント社から「気づく力」という本が発売された。本書では、第一章で「気づく力」、第二章で「考える力」、第三章で「行動する力」というようにまとめられている。
"なぜ人は「大切なこと」を見過ごすのか"ということについて、カルロス・ゴーンや丹羽宇一郎、大前研一などが発想、思考、行動について書いている。
章の構成のとおり、人が行動するには、自分で考える力に左右される。人から指示されたことよりも、自分で考え、自分なりの答えを出した人は、自ずと行動力が違ってくる。人から言われるのではなく、自分で考える力は、物事に気づく力がないとダメだ。
つまり、行動は気づきから始まると言うことだ。
気づく力とは、単純な言い方をすれば、二つのモノの違いを見つける力だ。AとBという目に見えるモノが並んでいれば、色々な角度から眺め、比較することができる。
この違いが判るということが大きい。ところが、目に見えないモノだと少し訓練がいる。訓練というか、意識の持ち方だ。
現実に日々起きていること、普段の何気ないことから違いに気づくことは難しい。顕著化した問題は、対処法を考えれば良いが、潜在化している問題からは、対処法は見つからない。
まず、潜在化していることへの気づきが必要なのである。目に見えない潜在化しているモノと何を比べるか、それは、自分自身の理想である。成功を確信して止まない理想がなければ、比較するすべがない。
つまり、気づく力を養うには、自分自身の理想力を確固として持つことである。ただ、呆然と日々を過ごしていたら、気づく力は発揮できない。比較対象となる理想を持っていれば、何気ない日々の出来事、ちょっとした変化にも気づき、なぜなのか、なぜなんだという疑問が生まれるはずである。
人に言われてから行動するのは、嫌なことだ。しかも、その行動には、責任が伴わない。
指示や命令されたからやったという受身な気持ちだから、自分の持つ潜在的な有能な力が発揮できない、その結果、実績もでない。
気づく力がない人は、考える力も十分でないと言える。自分で気づいた事象に対しては、自分の理想がはっきりしているから、自然と対処すべき手段も豊富に考えられる。しかし、人に指示されたということは、その人が気づかなかったことだから、どうしても自分の理想とはズレてしまう。問題提起されてから考えるので、対処療法的な目先の判断となってしまう。
このコラムで「判断と決断」について書いた。その中で、リーダーたるものは、「決断」することであると言ったが、リーダーの「決断」は、気づきがなくては始まらないのである。
リーダーの上司から言われたことに答えを出しても、それは、「判断」であり、自分が自ら方法論まで考え抜いた「決断」ではない。
気づき決断したことは、その後の行動力に違いが出る。
日々の何気ない出来事から色々なことを考え、些細なことに気づく力は、ある意味で能力とは違う。誰でも持っている力なのだ。問題は、自分の持つ理想の形、大きさであろう。理想形がはっきりしていて、その形が大きければ大きいほど、比較する現実との差に目がいくことになる。
理想がしっかりしていなかったり、小さいと、現実との差が少ないため、気づくことができないのである。
自分の気づく力を発揮するには、まず、日々の現実のなぜだという疑問を持つことである。常に、問題意識を持って、もっとよい方法はないのか、このままで良いのかという意識が、自分の理想をハッキリさせることになる。
リーダーよ、気づき、考え、行動せよ。全ては自分の責任だ。
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投稿者 :堀田信弘: 2005年8月19日 13:49