文部科学省は、約40年ぶりに小6と中3を対象に、全国一斉学力テストを2007年度より実施すると発表した。
全国規模の一斉テストは1956年度に始まったが、学校間の序列化や過度の競争を招いたとして66年度に廃止された。
80年代以降は、小5~中3を対象に、全国から"抽出"した国公私立の小中学生計約45万人を対象に、全国一斉のテスト「教育課程実施状況調査」を行ったいたが、これを全校に広げようというものだ。
一斉テストを行うと、県別、市町村別、市内の学校別などの平均点が把握できるほか、自分が全国でどの程度の学力化が掴めるようになる。
これに対し、日教組などでは、「学力コンクール化」するとして、反発している。
66年に廃止されたときも同じ理由で、詰め込み教育が偏重されるなどの考えがあった。そのため、次第に学ぶ内容を大幅に削り、「ゆとり教育」に大きく舵を切るようになったのである。
それを、またもとの姿に戻そうというのが今回の発表だ。
そもそも、日本が戦後これまで発展できたのは、勤勉な人種であったからであろう。小さな島国が戦争に負けて、資源もないのに、ここまで復興できたのは、勤勉かな人たちが、技術を見に付け、世界の松下や、ホンダ、ソニーを生んだのではないだろうか。
農業国から技術立国ニッポンに変身できたのは、全てが優秀な技術者を生んだ、教育の成果である。
ほんの一握りの天才を生むことができれば、その天才のお陰で、日本中が潤ったのである。
しかし、今や、技術立国ニッポンが斜陽を向かえている。安い人件費と日本人が一生懸命に指導した海外諸国に、技術力が大量に流出しているのだ。
次は、技術立国ニッポンからさらに変身し、観光なども含めた第三次産業であるサービス立国ニッポンに脱却しなければならない時期を向かえている。
韓国や中国などの東アジアは、急激な勢いで技術立国を目指している。そのバックボーンには、高い教育水準があるのだ。
韓国の大学進学率は世界でもトップクラスだし、中国のエリートは世界中の名門大学に国費で留学している。
これまでの日本の教育は、総中流階層意識といえば聞こえは良いが、資本主義諸国の中で最も社会主義の進んだ国民の意識の中で行われてきた。そのため、競争よりも共存を望むようになり、エリートを育てるよりも、全体の平均をあげるほうに傾斜した。
幼稚園の運動会では、かけっこの順位をつけなくなり、お遊戯では、主役も脇役もなく、全員参加型になった。
土曜日が休みになって、年間授業時間数は一ヶ月分くらい減少した。
東大を卒業するエリートは、皆公務員になり、かつての松下や本田のような起業家は少なくなった。
日本が唯一、ノーベル賞を取っていない分野は、経済学である。それは、経済を社会科の一部と捕らえ、文系に位置づけていたからだ。
しかし、今の経済学は、統計分析を中心とした数学の流れだ。
このままのゆとり教育は、百害あって一利なしである。
それなのに、未だに、「学力コンクール化」するとして反発している人がいる。
県別、市町村別、市内の学校別などの平均点が把握できて何が悪いのだろうか。むしろ、現状の把握できていないほうが遥かに問題ではないのか。地域ごとの隔たりがあるとしたら、是正するように動き出すはずなのに、現状ではそれに蓋を閉めている。どこの町がどこの市より平均が低いというのは、何が問題なのか理解するための材料に良いはずだろう。
町の教育委員会のレベルが低いだとか、市の教育への予算が低いからだなど、様々な問題が顕著化するはずである。
世の中が、日本国内だけでなく、世界規模レベルでグルーバルな競争の時代に入っているのに、教育の分野だけ、競争から逃れ、見て見ぬ振りをするのは問題だ。だから、学校を卒業してから、世の中の競争社会について行けないで、ニートや閉じこもりになってしまうのではないだろうか。
私たちが小さな頃は、子供の集団の中にもガキ大将もいたり、いじめっ子もいた。足の速い人もいたし、何歳か年上の先輩に怒られたこともあった。でも、小さな頃から、世の中の縮図としての競争社会があったのは事実である。負ければ悔しいし、殴られれば痛い。
これからの社会は、ほんの一握りの天才が誕生し、国が留学までをも面倒みて、この国の財産となるような逆説的な施策があったも良いのではないだろうか。
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投稿者 :堀田信弘: 2005年8月25日 10:57