1987年1月、東京証券取引所の平均株価が2万円台の大台に乗った。翌月、NTTが株式上場したが、 買い手が殺到し値がつかなかった。こうして、バブル期が始まり、土地が高騰し、日本中が沸いた。この躁(そう)状態は数年続き、 2年後の1989年12月には平均株価が3万8千円を突破しピークを向かえた。
年が明けた1990年、日銀はそれまでの低金利政策から一転して、 公定歩合を引き上げた。これによって、 市場に出回っていたお金が貯蓄に回り、景気にブレーキがかかった。買い手を失った土地は下がり始め、 92年8月ついに平均株価が1万4千円台に暴落した。それから、長い鬱(うつ)状態が続き、2001年4月第一次小泉内閣が発足した。 その時の株価は、1万3千円を割っていた。
「国民は痛みに耐えてほしい」と訴えた構造改革が進められた。2003年1月小泉総理から「痛みに耐えよくがんばった」 っと優勝杯を受け取った横綱貴乃花が引退した。その月、平均株価は8,300円代となり、バブル崩壊後の最安値となった。翌月1日、 スペースシャトル・コロンビアが空中分解、墜落した。
あれから2年半ぶりとなる7月27日、野口聡一さんを乗せた スペースシャトル・ ディスカバリーが打ち上げに成功した。 10日後、衆議院が解散され、ライブドアの堀江社長も立候補を表明した。連日ワイドショーでは、 小泉劇場が放送され、今月8月10日、平均株価は小泉内閣発足以来最高の1万2千円代を回復、その後も連日上昇を続け、 総理就任前の1万3千円台も見えてきた。
内閣支持率も高い水準で推移し、暑い夏にあおられるようにお祭りのような騒ぎとなって、国民が一体となって躁(そう)状態に入った。 まだまだ残暑が続き、来月の選挙は、秋の始めというよりは、夏の終わりという感じだ。
選挙が終わり選挙結果を見て、はじめて躁(そう)であったことに気づき、ハットしたところから再び鬱(うつ)が始まる。枯れ葉が落ち、 季節は秋から再び寒い冬を向かえる。
この病気の特徴は、鬱(うつ)状態は比較的把握できるものの、躁(そう)状態は中々気づけないことにある。あれほど慎重で、 臆病となる鬱(うつ)状態を脱するときには、何もかも考えずに夢中で突進する躁(そう)状態に入り、周りが見えなくなる。
しかし、鬱(うつ)状態の長さに比べ、躁(そう)状態は長く続かない。ハットして振り返ると、むちゃくちゃやったことを悔やみ、 反省し、急激なスピードで躁(そう)から鬱(うつ)に入る。祭りの後の寂しさのごとく、リバウンドと同じでこの時が最も辛い。
そして、このことを判っていても、のど元過ぎれば再び繰り返す。
ニッポンの躁鬱病は、こうして懲りずに繰り返される。なぜもこんなに流されやすいのだろうか。政治と経済は、一体として病気にかかり、 国民は無条件に一喜一憂させられる。
ニッポンの躁鬱病に取り込まれた企業は、景気と共に喜び、不景気と共に悲しむ。
しかし、取り込まれなかった企業は、不景気のときにも業績を伸ばし、景気が良いときには、不祥事を未然に防ぐ対策に余念がない。
この病気の特徴は、躁(そう)状態に中々気づけないことだ。
経営者は、ニッポンの躁鬱病に巻き込まれないようにしたいものだ。もっと世界に目を向けよう。
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投稿者 :堀田信弘: 2005年8月29日 10:44