1980年5月16日、衆議院が解散された。いわゆるハプニング解散である。
現在、テレビタックルなどの出演している浜田幸一代議士のラスベガスカジノ疑惑などのスキャンダルに対し、 当時の日本社会党などの野党が、大平内閣不信任決議案を提出した。
その時、自民党の福田派、三木派などが造反して欠席し、予想に反して不信任案は可決されてしまう。
大平正芳は、総辞職せず衆議院を解散した。そして、執行部は、田中・ 大平両主流派や中曽根派を第1次公認とし、欠席した反主流派を第2次公認という形を取った。
その時、「総理が総辞職しないで解散するのは独裁政治だ」と叫んだ人がいる。
野党の不信任案に同調して賛成票を投じた福田派の小泉純一郎だ。
同じく欠席した福田派には、現在、小泉首相の宿敵、亀井静香がいた。
かつて「独裁だ」と叫んだ小泉首相は、同じことをやった。
当時の大平総理は、人が良いのか反主流を第二次候補したが、今回小泉総理は公認しなかった。
小泉総理は、「郵政法案に対する反対でなく倒幕運動だ」として、反対派を一蹴した。
その小泉純一郎は、福田赳夫元首相の秘書をしていた。当時、福田派は、田中派と角福戦争を行っており、 大平派は田中派と組んでいたのだ。
当時も今も、構図は単純に党内抗争に違いない。
それにしても、亀井静香と小泉純一郎は元々同じ福田派に属していた。当時の福田派(清和会)は、石原慎太郎、 中川一郎などのグループも吸収しており、大きかった。その後、安倍晋太郎(安倍派)、三塚博(三塚派)、森喜朗(森派)が会長となった。
安倍晋太郎が清和会の会長であったとき、 安倍派四天王と称された三塚博、加藤六月、 塩川正十郎、森喜朗の4人実力者がいた。その後、安倍の後継を三塚、加藤が争い(三六戦争)、 森の支持を得た三塚が勝って派閥の会長となった。
その後、三塚の後継に森がついたが、亀井静香は異論を唱え、派閥を離脱した。そのころ、中曽根派は、渡辺美智雄が後継者となったが、 渡辺の死後、中堅・若手を中心とする山崎拓が独立して山崎派を結成した。
その後、残った渡辺派は、森派から離脱した亀井静香と合流し、志師会を結成し、初代会長に村上正邦、二代目に江藤隆美が就任した。
亀井静香が三代目会長となり、亀井派となってまもなく、小泉は、中曽根康弘の比例終身一位を撤回し、引退に追い込む。 中曽根がいなくなった亀井派は、武藤嘉文と与謝野馨が派閥を離脱、今回の郵政民営化法案をめぐっては、派内が賛成と反対に分裂した。
ヤクザ映画のようなこの流れを見れば、政治とは如何にきな臭いものかわかるだろう。
「自民党をぶっ壊す」とって国民の喝采を得た小泉首相だが、壊れたのは森派以外の派閥だった。気が付くと、 森派は最も大きな派閥になっていた。
政策よりも政権争いは明らかだ。歴史が物語っている。
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投稿者 :堀田信弘: 2005年9月 3日 10:12