孟子は、王道を勧め覇道を退けた。天下統一は、誰のためのものかをリーダーに説いた。覇道は、リーダーのための天下統一であり、王道は人民のための天下統一である。結果は何れも制覇であることには違いない。
覇道主義は、制覇することを目的にするから、武力や権力を中心とした覇権的な考えになる。一方、王道は、なぜ天下統一が必要なのかという目的を訴え、制覇することが目的ではなく目標とする。
リーダーは、"目的"と"目標"を混同してはいけない。
民主党の新代表となった小沢一郎は、私の好きな政治家の一人である。これまでにない発想で、次々に新しい政策を打ち出し推進する姿に、私自身の姿を重ねることがある。
彼の著書を読むと論理的で、しかも理想を全面に出した画期的な考えが見える。壊し屋のイメージがあるのも、常にゼロベースから考える革新的な考えがあるからだと感じる。
しかし、言葉にして話す姿は、あまりにもダークなイメージが付きまとう。
それは、著書にあるような徳を持った政治、すなわち王道主義の考えを持ちながらも、人前で話す時には、力ずくで突破しようとする覇道主義の考えが見えてしまうのではないだろうか。
「政権交代の実現」を"目的"にするからだ。
王道の考えなら「政権交代」は目標であって、目的は自民党とは違う明確なビジョンを国民に提示することであるはず。
どういう国にするかを掲げ、国民の支持を得てはじめて「政権交代の実現」が可能となるのに、政権交代することを目的としては、どんな組み合わせでも、どんなことでもやるような理念なきものになるような気がする。
これまで歴史は、理念を持たない人は、必ず覇道主義に走ることを証明してきた。
真のリーダーは、常に理念を訴える王道主義者である。
しかし、実際には、王道主義のリーダーは極めて少ない。私自身、そのようにありたいと考えながらも、現実の中で妥協してしまうことのほうことが断然多い。しかし、王道家にはなれないながらも、決して覇道家にはならないように生きたいと思っている。
覇道主義者は、圧倒的な権力を身につけるために、"裏での活動"を必ずする。集団を前に理念や自分の考えを訴えるのではなく、少人数、あるいは一対一のネゴシエーションで取り込もうとする。ひとりづつ切り崩して行く。時には弱みを握り、仲間を増やし、数で敵に圧倒するための権力を持つことを目的とする、まさに覇道主義の姿そのものである。
世の中の実態と見ると、以外にも覇道主義のリーダーが周辺にゴロゴロしていることに気づく。恐らく自分達の周囲にも、表ではあまり発言せず、"裏で群れ"を作っている中心人物がいるはずである。
このような人物が組織の中にいると、風評が飛び交い、足の引っ張り合いが起こる。
噂話で一喜一憂するようなビクビクした風通しの悪い淀んだ空気に包まれている。
昨日、ライブドアが上場廃止となった。
覇道主義が敗れた姿だ。
会社を上場させようと考えている経営者は、なぜ上場が必要なのかを訴えなければ社員は動かない。
私からすれば、上場を目標にすることさせナンセンスである。上場を目的にするのは持っての外である。上場は、何かを達成するための手段でなくてはならない。直接金融として資金を調達し、その資金をどう成長に役立てるかの大儀をしっかりと社員に訴え、さらに、上場すると公な企業として、透明性が求められることもあわせて社員に示す必要がある。
私は、上場を否定しているのではなく、覇道主義を否定しているのである。
覇道主義は、必ず仲間を不幸にするからである。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年4月15日 10:44