先日、韓国人の社長と出会う機会があった。その社長は、「日本人は、どんなに親しくなっても互いの関係は距離があるようだ」という話があった。
どうやら韓国では、とても親しくなるとモノの貸し借りも当たり前になり、「私のものはあなたのもの、あなたのものは私のもの」と言った感覚があるようである。色々と話を聞いてみると、韓国人から見る日本人は冷静で冷たい感じがあるように映っているようなのだ。
韓国人は、感情を表に出し、出した感情をも受け止められるような関係であること、それがお互いの信頼関係の証であると考えているのである。それに対し、日本人は、どんなに親しくなっても礼儀を重んじるところがあり、それが韓国人からは表面だけを繕っているように見えるのだそうである。
言い換えれば、日本の「親しき仲にも礼儀あり」というのはインチキで、韓国の「親しき仲には礼儀なし」のほうが真の流儀だと言えるのだろう。
そう言えば、これまで知り合った中国人、韓国人、台湾人、フィリピン人....など大半のアジアの国の人は、感情を表情に表し、言葉に出すような人が多かったように思う。もっと言えば、アメリカ人、ブラジル人、イギリス人など世界中のほとんどの国の人は、「親しき仲には礼儀なし」のほうが多いのかも知れない。
これは、逆に言えば、「親しくない人には礼儀があり」「親しい人には礼儀がない」のであって、
親しいか親しくないかがお互いにハッキリして判りやすいとも言える。
これに対し、日本人は、「親しくない人にも礼儀があり」「親しい人にも礼儀あり」であって、親しい人もそうでない人も同じように接するのが流儀である。
なるほど、外国人からはそのように見えるのかと考えさせられた。
しかし、私は反論したい。
そもそも礼儀って何だ。
モノを借りれば「ありがとう」と言うことであったり、間違ったことをすれば「すみません」と言い、誤ったことをすれば「ごねんなさい」と言えることではないだろうか。
礼儀とは、相手を"敬う"ことであり、それは親しさの類とは関係なく、"素直な"感情を言葉で表すことである。
相手を"敬う"感情があれば、必然的に"素直な"気持ちは表れるはずである。相手を"敬う"感情がないか、あるいは同等であるという自惚れた思いがあるとすれば、"素直な"感情は持てず、ストーレートに自分の感情をぶちまけることになるのではないだろうか。
私は、目上の人、正確に言えば年齢の上の人に、「親しき仲に礼儀なし」の態度を示す人は、大嫌いである。どんなに相手が「良いよ」と言ってくれたとしても、周りの人に嫌悪感が生まれることを感じられないような人は許しがたい。
私は子供に対しても、部下に対しても、感情的に許せないことは、「親しき仲に礼儀なし」の態度を取ることである。
しかも、私の「親しき仲に礼儀なし」は、少し幅が広い。言葉使いは勿論だが、できない理由を言ったり、言い訳をしてごまかそうとしたり、やったふりをしたりするような"素直"でないことには、大きな声で叱り付ける。
そのような態度には、ズルイ姿勢が見え見えだからだ。それを見逃して許してしまえば、その人は出来なかったことを"素直に"「出来ませんでした」と認められない人になる。"素直に"反省できないということは、どこかで自惚れが見栄えていることであり、放っておけば「親しき仲に礼儀なし」の人間に成りかねないからである。
「ありがとう」「すみません」「ごねんなさい」という言葉は、自分自身に"素直に"なっていなければ生まれない。自分自身に"素直に" なるということ、これが謙虚さだ。これを失えば傲慢になり、その行く末が「親しき仲に礼儀なし」になるというのが私の考えである。
どうやら、先生にも親にも叱られたことがない若者が増えているせいだろうか、日本人らしい「親しき仲にも礼儀あり」の心が崩れ始めているようである。子を持つ親が礼儀を知らないようでは、日本も「親しき仲に礼儀なし」に変わっていってしまうのだろうか。
残念でならない。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年5月27日 10:46
私には親友と呼べる友達が5人ほどいました。この中にかなり年上の親友が2名ほどいましたが、彼女たちに共通して言えるのが、親しき仲にも礼儀あり、という言葉をよく口にすることです。
ある時、彼女に好きな人ができ、もちろん普通の人であれば心から喜べる事だったのですが、相手には妻子がいたので、悩んで私に会いに来たり、電話してくる彼女に対して、なんで妻子がいるのに言い寄ってくるような最低男を好きになるの?やめたほうが良い。もしうまくいっても同じ目に合うよ。奥さんがそのメールを見たらどう思うか考た事ある?確かに否定的な意見の一点張りにしてしまい、傷つけたのは確かです。Aちゃんは私の気持ちを考えて頑張れって言ってくれるのに、ひどいよね、と言われたとき、彼女にとっては私みたいに直球で意見する友達は要らないんだなという事がわかりました。
親しき仲にも礼儀あり、この言葉を良く使う人とは私は仲良くできないのではないかと思っています。
プライドが高く、絶対的な自分への自信があるひとがそれ以上何も言われたくない!と言う時に切り札として使うように思います。
「やっぱり若い子ってだめよね親しき仲にも礼儀ありって言葉があるの知らないのかもね」・・・・・
喧嘩してでも、言いたいこと言い合ってそれでもずっと友達でいれる人のほうが私は好きです。
投稿者 yamamohioNG : 2009年4月20日 04:48
僕は「親しき仲にも礼儀あり」という言葉が大嫌いです。
僕は、親しき朋とのコミュニケーションに最も重要なのは本当の気持ちを伝えることだと考えています。
ここで親しき仲とは本当にお互いの幸せを願える仲のことです。
礼儀というのは相手に気持ちを誤解なく伝えるための1つの型であっても、それが「親しき仲」を最大限に生かした伝え方とは思えません。
その人の幸せを願い、何かを伝えるとき、それが礼儀に収まっている必要性はないと考えます。
もちろんそれが大勢の「親しくない人達」の前なら控えるべきでしょうが、仮に「親しい人たち」が自分の目の前で礼儀のない会話をしたとしても、不快だからやめろとは僕は言えません。
僕は堀田さんの意見に反論しているわけではありません。
堀田さんのおっしゃっている「親しい仲」と僕の言っている「親しい仲」は定義がかなり異なっているからです。
堀田さんがおっしゃっている「親しい仲」とは知り合って一年ぐらいの仲のよい先輩や上司も含まれるとおもいますが、僕が言っているのは生まれてからずっと一緒に生きてきたような、人によっては存在しないような朋との仲を「親しい仲」といっています。
一般的には僕の捕らえ方は少数派でしょうが、こういう捕らえ方をした場合はどうか?ということで書かせていただきました。
そういう意味では論点が違っていますが^^;
一年以上も前の文章に失礼いたしました。
投稿者 eins : 2007年8月14日 03:34
同じような事を私も考えていました。
特に目上の人の「親しきなかに礼節なし」の姿勢は許し難い。
目下の場合は、自分の側に養育的態度の欠落があったかどうか反省しながら相手を見守ることもしますが、目上の場合礼節を失った関係性を強制されたような場合、関係性そのものを考え直します。
人としての筋道を通すことはとても大切な事だと私は思っています。
投稿者 MasumiK : 2006年5月27日 16:19
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