【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 3日 『 左手と右手は、矛盾だらけだが、決して片方が無くなっても良いと言うものではない。矛盾の両輪は、私の目指すところ。』


求める人材  「活・喝・勝」


親しき仲にも礼儀あり

先日、韓国人の社長と出会う機会があった。その社長は、「日本人は、どんなに親しくなっても互いの関係は距離があるようだ」という話があった。

どうやら韓国では、とても親しくなるとモノの貸し借りも当たり前になり、「私のものはあなたのもの、あなたのものは私のもの」と言った感覚があるようである。色々と話を聞いてみると、韓国人から見る日本人は冷静で冷たい感じがあるように映っているようなのだ。

韓国人は、感情を表に出し、出した感情をも受け止められるような関係であること、それがお互いの信頼関係の証であると考えているのである。それに対し、日本人は、どんなに親しくなっても礼儀を重んじるところがあり、それが韓国人からは表面だけを繕っているように見えるのだそうである。

言い換えれば、日本の「親しき仲にも礼儀あり」というのはインチキで、韓国の「親しき仲には礼儀なし」のほうが真の流儀だと言えるのだろう。

そう言えば、これまで知り合った中国人、韓国人、台湾人、フィリピン人....など大半のアジアの国の人は、感情を表情に表し、言葉に出すような人が多かったように思う。もっと言えば、アメリカ人、ブラジル人、イギリス人など世界中のほとんどの国の人は、「親しき仲には礼儀なし」のほうが多いのかも知れない。

これは、逆に言えば、「親しくない人には礼儀があり」「親しい人には礼儀がない」のであって、
親しいか親しくないかがお互いにハッキリして判りやすいとも言える。

これに対し、日本人は、「親しくない人にも礼儀があり」「親しい人にも礼儀あり」であって、親しい人もそうでない人も同じように接するのが流儀である。

なるほど、外国人からはそのように見えるのかと考えさせられた。

しかし、私は反論したい。

そもそも礼儀って何だ。

モノを借りれば「ありがとう」と言うことであったり、間違ったことをすれば「すみません」と言い、誤ったことをすれば「ごねんなさい」と言えることではないだろうか。

礼儀とは、相手を"敬う"ことであり、それは親しさの類とは関係なく、"素直な"感情を言葉で表すことである。

相手を"敬う"感情があれば、必然的に"素直な"気持ちは表れるはずである。相手を"敬う"感情がないか、あるいは同等であるという自惚れた思いがあるとすれば、"素直な"感情は持てず、ストーレートに自分の感情をぶちまけることになるのではないだろうか。

私は、目上の人、正確に言えば年齢の上の人に、「親しき仲に礼儀なし」の態度を示す人は、大嫌いである。どんなに相手が「良いよ」と言ってくれたとしても、周りの人に嫌悪感が生まれることを感じられないような人は許しがたい。

私は子供に対しても、部下に対しても、感情的に許せないことは、「親しき仲に礼儀なし」の態度を取ることである。

しかも、私の「親しき仲に礼儀なし」は、少し幅が広い。言葉使いは勿論だが、できない理由を言ったり、言い訳をしてごまかそうとしたり、やったふりをしたりするような"素直"でないことには、大きな声で叱り付ける。

そのような態度には、ズルイ姿勢が見え見えだからだ。それを見逃して許してしまえば、その人は出来なかったことを"素直に"「出来ませんでした」と認められない人になる。"素直に"反省できないということは、どこかで自惚れが見栄えていることであり、放っておけば「親しき仲に礼儀なし」の人間に成りかねないからである。

「ありがとう」「すみません」「ごねんなさい」という言葉は、自分自身に"素直に"なっていなければ生まれない。自分自身に"素直に" なるということ、これが謙虚さだ。これを失えば傲慢になり、その行く末が「親しき仲に礼儀なし」になるというのが私の考えである。

どうやら、先生にも親にも叱られたことがない若者が増えているせいだろうか、日本人らしい「親しき仲にも礼儀あり」の心が崩れ始めているようである。子を持つ親が礼儀を知らないようでは、日本も「親しき仲に礼儀なし」に変わっていってしまうのだろうか。

残念でならない。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

感謝。 毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。

この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。

※このブログは日本最大級の社長動画サイト賢者.TVのランキングで堂々第一位となりました。

投稿者 :堀田信弘: 2006年5月27日 10:46