経営者から見ると、自分の会社を愛している社員のほうが忠誠心が高く、モチベーションも高いと考えることは自然だ。しかし、愛社精神やモチベーションなどと言った心の中は計りようがない訳で、それを求めることも、それでヒトを判断することもナンセンスである。
愛社精神がある人を求めれば、愛社精神があるようなフリをする人間も現われる。だから、心の持ちようを問うより、その人の取った行動で計るべきである。
そう言う私も御他聞に漏れず、愛社精神がない社員は要らないと考えている。
会社という媒体を通じて、経営者は社員に愛してもらえる会社にするのが使命であり、社員はその取り組みを歓迎して会社を愛することができれば、会社は強くなるはずである。愛社精神がない社員は要らないというのは、愛がないのに同じ家に住んでいるようなものだからである。
愛がなければ、別に愛することができる会社で働いたほうが、お互いに気分が良い。給与という金の縁だけで繋がっているようであれば、それは社員にとっても会社にとっても決してプラスに左右しない。
だからと言って経営者が、一方的に愛社精神を求めるのは問題である。「愛社精神がない社員は要らない」と言う前に、経営者はどういう会社にしようとしているのか、どのような取り組みをして社員に愛されることを考えているのかを、社員に伝えることが重要である。それが伝えられていなければ、「愛せ」と言っても愛せるはずもなく、むしろ気持ちが引くばかりだ。愛を強要されることは苦痛でしかない。
夫婦と同じように、お互いに与える気持ちがなければ愛は成立しない。
お互いに愛を求めるだけでは上手く行かないものである。求めるだけでは、嘘の愛を演じ、会社のためと言って、何かと文句を言ってくる社員が必ず生まれる。そういうタイプは、愛社精神があると勘違いし、会社が良くなるために苦言を呈していると自惚れる。自らは、会社のために無償の奉仕、愛を示すことはせず、会社は社員に何をなすべきかだけを問う。与えることはしないで、求めることが愛と錯覚している。
私が言う「愛社精神がない社員は要らない」と言うのは、こうした求めるだけの社員のことだ。こんな社員を採用したのも経営者の責任だが、そのまま言いたい放題させているのはもっと経営怠慢である。
愛社精神とは、求める以上に、奉仕する量が多いことである。
これは、精神論ではなく、行動した結果、行動する姿を表しているのであって、会社を愛することを強要するものではない。会社が好きかどうかは、相性のようなものだから、好きになれない組織にいることは不幸なことなのだ。それが、心底会社を好きだと思える社員が一杯いたとすれば、間違いなく会社は成長することだろう。だから、愛社精神がある組織のほうが、遥かに強いのである。
それは、愛社精神が強い社員は、モチベーションが高いことに表れている。
好きな仕事ができる環境、それを許してくれる組織、そういう会社で働ける社員は、極めてモチベーションが高い。モチベーションが高ければ、同じ仕事をしてもより一層の力が発揮できるものである。
逆説的に言えば、「愛社精神がない社員は要らない」と言うのは、モチベーションが低いからである。何故なら、嫌な環境で、気持ちよく、精一杯力が発揮できるとは思えないからである。これは、能力のあるなしと意味するものではない。能力がなくても、モチベーションが高いほうが、能力があってもモチベーションが低い社員よりも組織には重要なのである。
能力があってもモチベーションが低い社員は、前述のとおり、欲求が大きくなり、ついには組織を崩壊に導く危険な因子を持っているからである。その人の身になって考えてあげれば、折角能力が高いのだから、嫌な組織に拘るのではなく、モチベーションが高くなるような職場に移ったほうが遥かに能力が発揮できるだろう。
経営者からすれば、折角能力が高いのに、モチベーションが低い社員がいるのはもったいないことだ。簡単に「愛社精神がない社員は要らない」と言う前に、モチベーションが下がってしまった原因について、大いに反省すべきである。反省し、反省し、愛社精神が高まるような努力をした上で、私は「愛社精神がない社員は要らない」と言いたい。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年7月18日 07:41