新渡戸稲造が『武士道』を英語で書いたのは1900年。新渡戸稲造は、アメリカやドイツの大学にも留学した国際人で、キリスト教徒であり、教育者でもある。
かつて私は、「やらない善よりやる偽善か」という記事を書いた。気持ちがあってもやらない人と、例えば売名行為であってもやる人とは、どちらが善なのだろうか。新渡戸稲造は、答えを示している。
先週、カンボジアにある東南アジア最大の湖、トンレサップ湖に行った。ここで採れる魚は、カンボジア人のたんぱく質の大半を占めるそうだ。
湖の周辺には、葉っぱと竹笹で作られた小さな小屋のような高床式の水上家屋が集落を作っている。住民は、湖の水で体を洗い、子供たちはタライのようなオケに乗って遊んでいる。私たちが乗ったボートが近寄ってみると、どこからは何十人もの子供達が集ってきた。子供達は、人差し指を立てて何か言っている。ガイドに聞いてみると、ハガキや民芸品を「1ドルで買って」と言っているそうだ。
小さなおもちゃをひとつ買ってあげると、その一家は今日も食事が食べられるそうだ。1家が1ドルで生活しているのである。湖の周辺にある村に小学校があるのは、4割程度だそうだ。最近は国際協力や企業の寄付によって、少しづつ増え、日本が作った水上学校もある。それでも、クメール語が読める子供は、3割いるかどうかだそうだ。
そのため、「地雷に注意」と書いて注意を呼びかけても、字が読めないから、今でも被害にある子がいるそうだ。
いちおう小学校は、義務教育となっており、6年間通う。中学校は、シェムルアップのような都市に出なければ無い。村から中学校に行く子供は1割しかいない。しかも中学校に行ける子の9割は男の子で、女の子は1割しかいない。つまり、ここの小学生の100人に1人しか女の子は中学校に行けないのだ。湖の周辺にいる子供全体で見ると、250人中1人しか女の子は中学校に行けないのである。高校となれば、何千人に1人になるのだろうか。大学は首都プノンペンにしかないから、とてつもなく難しい。
貧困と男女格差に関連があることを初めて知った。
学校というハードウェアを作るにも費用がかかる。しかし、問題なのは、日本の企業やNGOが寄付などでハードウェアを作っても、子供達を教える先生がいない。中学校に行けず、高校に行ける人など皆無な状態だから、ハードウェアだけではこと足りないのである。
最近は、文部科学省が派遣するケースも増えてきたという。人的な支援ができなければ、お金を出しても解決しないのである。
やらない善よりやる偽善、ここに来て、自分なりにひとつの答えを出した。
どんなに親切な心を持っていても、行動しなければ心の無い人と変わらない。どんなに偽善と思われても、行った行為は偽りではない。心の中は誰にも判らない、やった行動は目に見える。やらない善よりやる偽善だ。
ボートに集って来た子供達に、30ドルあげた。
たった3千円たらずだ。でも、寄付したのではない。子供達が一生懸命に売っている写真やハガキなどをきちんと受け取った。彼らは、果たすべき仕事をやったに過ぎない。私も、お客として買ったにしか過ぎない。私には、私がやれることしかできない。1ヶ月分の収入を得た子供達は、満面の笑顔だった。
涙が出そうになるくらいこちらも嬉しかった。人の笑顔を見て、感動したことがあっただろうかと考えた。
行動したことに善も偽善もない。そして、行動しなければ善も偽善もない。全ては行動するかしないだ。
新渡戸稲造も『偽善と思われても親切を外に表せ。内に親切心はないにしても、外に親切を行為にする。この行為は偽りではない、真である』と言っている。
やれることに大きいも小さいもない。やらなければゼロだ。どんなに小さなことでもやればゼロでない。難しいこと、大それたことを考える必要はない。偽善でも良いから行動して見よう。
山本良一さんの「一秒の世界」という本によると、世界中の貧しい国では、1秒間に0.3人、4秒にひとりが飢えで死んでいるそうだ。それなのに、世界中で使われている軍事費は、1秒間に320万円にもなる。
私たちは、十分な寄付はできないが、無駄なお金を使わない国にしようとする政治家を選ぶ一票を投じることはできる。お金を出さなくても、行動できることはある。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年8月28日 07:56