マックス・ウェーバーのリーダーシップ論によると、組織は、1.リーダー資質型 2.家長型 3.官僚的型 の3つに分類される。
リーダー資質型は、リーダーの資質、人間的魅力により組織構成員の"忠誠を引き出す"タイプである。家長型は、組織構成員が家長の権威、権限に"服従させる"タイプである。そして、官僚型とは、組織構造や伝統、継承、規則などの組織権威に組織構成員が"服従させる" タイプである。リーダー資質型以外は、服従させる強制型である。
ベンチャー企業で言えば、伝統も歴史もないわけだから、リーダー資質型や家長型の何れかしかあり得ない。最も重要なことはリーダーの資質型であることは言うまでもないが、かつて成長した企業を見ると、資質型が7、家長型が3程度に混ざったカリスマ型が成功しているのではないだろうか。
ウェーバーによれば、企業のアーリーステージ(初期段階)においてや、又は組織を解体的に改革するような場合は、このようなカリスマタイプが最も有効だそうだ。そのウェーバーは、さらに有能な政治家の持つ3つ資質は、1.情熱 2.洞察力 3.責任感 と言っている。
私は、この資質は、一般企業においても、リーダーにとっての重要な資質は同じだと思う。しかも、私はその優先順位について、情熱、洞察力、責任感の順だと考える。そして、第一の情熱家タイプでなければ、それ以外があってもリーダー資質型のリーダーには絶対になりえないと言える。
さらに、 東照二さんの著書「歴代首相の言語力を診断する」では、ウェーバーの3つの資質にプラスして「言語力」が必要だと書いてある。
この本では、これまでの首相の言語力について面白く分析されていて、リーダーの人間性は、言葉の語尾や表現力で特徴付けられるとある。
小泉前首相は、この点で言えば、大衆を引き付ける話法を先天的に有していた。かつての田中角栄もそうであったように、小泉首相も何が出てくるか分からないような、あえて文法的にも崩れている点が聞き手を引き付ける。論理的な話方よりも感情的で、しかも、「コード・スイッチング」と呼ばれるフォーマルな話とプライベートな話をうまく切り替え、感じたままの気持ちをストレートに伝える力を持っていた。
言葉は断言的で、短い文節、かつ中学生でもわかる様なわかり易さと親しみ易さがある。この本を読む限り、言葉の文的な表現力より、心をどう言葉で表現する力があるかが、人気や支持率に直結し、かつ長期政権になっているように思う。
そういう意味で、私は、リーダーの言語力というのは、4つ目の資質ではなく、情熱、洞察力、責任感という3つの資質の総合成果ではないかと考える。アナウンサーのように話方だけを上手にしようとしても、あるいは俳優のように話す内容を十分に考えてまとめて話をしたとしても、この言語力は決して高まらないと考えるからだ。
生の人間が生の人間を相手にする以上、表面的な話し方というようなレベルではリーダーシップは取れない。
中でも、2番目にある人間の洞察力について、これまであまり重要視されていていないところが、言語力が高まらない点ではないかと考える。
先日発足した安部首相の所信表明演説を見る限り、私には、小泉前首相のようなリーダー資質型なタイプには思えない。情熱がないとは言わないが、その心を表に出す表現が乏しい。起伏がなく、あまりにもスマートであり、形式的、正論的である。そして、小泉や田中の二人だけに共通して高いと言われた洞察力が、これまでの歴代首相と同様に安部首相には感じられない。
私は、情熱の次に重要で、かつ欠けてはならないものがこの洞察力ではないかと考えている。実は、私自身も他のどの資質よりもこの洞察力を高める努力をしていると言って過言ではない。
なぜなら、ただ情熱があるだけでは、情熱は伝えられても、ウェーバーの言う"忠誠を引き出す"ところまでは行かないからである。それは情熱は、時には反発として捕らえられる場合もあり、時には情けだけに捕らえられるだけで終わることがあるからである。つまり、相手の心を読み、場の雰囲気を察し、いつもいつも異なったシチュエーションに対応できるような洞察力がなければ、相手から心を開いてもらうことは不可能である。
洞察力が高い人は、気配り、気遣いが上手く、相手の心情を常に考えながら発言できる繊細な心の持ち主である。ボス的な存在で情熱家タイプの場合、以外にも豪快さとは裏腹にきめ細かい配慮ができる繊細さを持っていることがある。言わば、ボスと言うのは大胆かつ繊細というような両方向を併せ持つ存在のように思う。
私自身この洞察力が弱いのだが、洞察力が高い人は、これまであまり会ったことがない。自分が話している時とは一遍して、相手が話しを始めると、タイミングの良い相槌を打ち、こちらの話を引き出そうとする短い質問ができるなどの力もひとつの洞察力であろう。情熱家タイプの場合、この点が欠けることが多い。
かつて、田中角栄は、官僚の奥さんの誕生日まで知っていたと言う。冠婚葬祭は何よりも優先し、墓前の前で共に悲しみを共有したりもした。簡単に気遣いや気配りなどと言った些細なものではなく、徹底して相手と心を共有しようとする行動がそこにはあった。単に気持ちの問題ではないのである。
また、洞察力の高い人は、基本的に人間好きということが言える。会った瞬間に「こいつとは合わない」と感じるのでなく、先に何か良いところを見出して、こちらに敵意がないことを示そうとする。相手がこちらとは「合わない」と思われる前に、こちらが「合う」という意思を伝えることで、主導権を握ってしまうのだ。通常は、相手からどう思われると考える前に、こちらが先に「合わない」と決め付けてしまうものだが、これは洞察することを最初から嫌っているようなものである。
そういう意味で、自分が抱く好き嫌いという感情を乗り越えられる人が、洞察力が高いのではないだろうか。一般的には、リーダーシップのない人、もっと言えば弱者のほうが洞察力が高いように思う。障害者と接していると、彼らがどれだけ人を愛し、人との関わりに関心を持つ洞察力が高いかを感じることができる。だから、リーダーが洞察力と持つというのは細心の努力をしなければ中々持てないのである。
この相反する情熱と洞察という二つの資質を持つリーダーこそが、忠誠を引き出すタイプであろう。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年10月 1日 15:46