織田信長が天才だとすれば、豊臣秀吉は人の力を借りる名人ではないだろうか。秀吉は18才のときに信長のぞうり持ちになった。
今で言えば、高校を卒業し、大企業のサラリーマンになったようなものだ。その後、信長社長に認められ、百姓出身の秀吉が足軽頭という課長になり、部下数人を持った。30才のころには部長として、明智光秀と共に京都の政務を任された。独立して長浜城に入った37才のときには、部下は数百人になり、その中には石田三成、加藤清正、福島正則など有能な若手がいた。
54才のときに天下統一を果たす。ぞうり持ちが、徳川家康や毛利、上杉という名門大名をも傘下にした。
サラリーマンから始まり、課長、部長を経て、独立し、中小企業の社長から一部上場の巨大企業の社長になった。信長が自分の優れた才能を武器に、急成長を果たそうとしたのに対し、秀吉は人の力を借りて組織そのものを武器にしていった。秀吉は人材発掘、組織作りの天才だ。
私は、信長のほうが生き方としては好きだが、社長の器という点で言えば、秀吉ほど器が大きい人物はいないと思っている。
会社は、社長の器より大きくならない。
私が出会った多くの社長は、「会社は規模ではない」と自信を持って応える人が多い。その社長は「小さい組織でも良いから強い組織にして、世の中にないものを創りたい」と続く。 その理念は素晴らしい。
しかし、現実は、その言う社長の会社は小さい。小さいから悪い訳ではないが、規模の大きい社長はそんなことは言わない。
「規模の追求は身を滅ぼすから」と理由を言う。その考えも正しい。しかし、それは身の丈以上のことをやろうとするからであって、必然的に拡大することが滅びる原因にはならない。もし、その人が言うように、小さい組織でも世の中にないものを創り、世の中に受け入れられたのなら、その組織はその期待に応えられるように拡大、充実させざる得ない。もし、それを拒むなら、それは世の中から受け入れられないであろう。
会社とは何か。
私は、個人で出来ないことができることが会社だと考える。小さなお店を持って、自分の味や技術を武器に自分がやりたいように自分が生きている間のことを考えるのなら、会社である必要はない。個人商店であれば良い。
会社は、社長が死んでも、生き続ける。次の社長が、残された社員の生活を確保し、より良い製品を出して、より社員が豊かになるようにするだろう。それが、創業者社長のたったひとりだけの考えで、「会社は大きくしなくても良い」と縛りを付けるのは、社員本位ではなく、その社長自分本位ではないだろうか。社長が自信がないからに相違ない。
私は、会社は組織創りだと考えている。
ひとりで初めた社長なら皆経験することだろうが、社長ひとりが寝ないで仕事をしてもできることに限りがある。どんな人でも良いから助けが必要だ。電話番もいれば外に営業に行ける回数も増える。経理や事務がいれば、もっと違ったことに時間を費やすことができる。こんな経験は誰でもする。
しかし、普通の人は、もう少し稼げるようになったら人を採用しようと考える。
私は違う。できるだけ多くの人を採用しようと考える。いち早く組織を創って、いち早く稼げる体制を創ろうと考える。個人事業主のエンジニアが会社組織に中々できない理由はここにある。
会社の組織創りは、採用である。人を採用して集めなければ、組織にはならない。社長の器の大きさは、採用に全てが表れると言って過言ではない。
器の大きな社長は、自分よりも優秀な人を採用することができる。求職者と面接できたなら、社長が会社の想いを真剣に語り、引き付けられれば求職者に辞退されることは少ないはずだ。辞退されると嘆く社長は、器が小さいからだ。
さらに器の大きな社長は、自分より優秀でない人も採用することができる。秀吉は足軽を経験しているから、足軽の気持ちが判る。有能な人を集めたいと思うのは皆同じだが、有能な人ばかり求めているところには集らない。秀吉に若手の有能な人が集ったのは、どのような人でも採用し、その人にあった仕事を割り当てやる気を引き出したからだ。零細企業は、こちらが人を選ぶのではなく、こちらを選んでくれる人を適材適所で活用できるようにしなければならないと断言する。
会社は、社長の器より大きくならない。つまり、社長の器の大きさは、会社の組織そのものの大きさなのである。
採用できる力、採用する意欲、組織を充実させようとする意気込みは、会社を組織として機能させることだ。
私は、お金が出来てから組織を創るのではなく、お金を借りてでも組織を創るべきだと思っている。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年10月 7日 10:22