経営をしていると、様々な場面で、卵が先かニワトリが先かの問題にぶつかることがある。経営経験が浅い人は、どちらが先でも堂々巡りの議論だからと、そこに拘りを持たないことが多い。
例えば、経営とは、稼ぐのが先か、稼ぐために投資するのが先か、どちらが先だろうか。
私は、全般的に経営手法の方法論については、何が正しいという正解がないのが経営であり、結果を出したものが正しい経営者と思っているから、具体策についてそれぞれの考えに疑問を呈するつもりはない。
しかし、稼ぐのが先か、稼ぐために投資するのが先かというのは、方法論ではなく、経営者としての最低限の心構えであると考えている。つまり、これは、卵が先かニワトリが先かの堂々巡りの議論ではなく、投資するのが先という答えのほうが間違いないと確信できる。
私は、経営とは投資であると断言する。
もし、経営者とは、稼ぐのが先という思想をお持ちなら、ここから先は読まず、もうこのサイトには訪れないでほしい。別に議論をするつもりもなければ、その考えを正すつもりもない。
しかし、実際には、経営者の多くは、稼ぐのが先と思っているのも事実である。これまでも多くの経営者と出会ってきた。だからと言って、潰れる訳でもなく、ほどほどやれているから、稼ぐのが先という考えに何ら疑問も持っておらず、むしろ自慢にさえ思っている人が多い。
稼ぐのが先だという経営者は、一応経営者であり、やれている以上経営者として失格だという訳ではない。
しかし、私は、そのような経営者とは付き合いたいとは思わない。
理由はひとつ、社員を幸せにできると思わないからだ。
なぜなら、人は、稼いだお金の使い方と、稼ぐためのお金の使い方に違いがあるからである。これは、経営者だけに言えるのではなく、人間すべてに当てはまるだろう。だからこそ、人の上に立つ経営者にはお金の使い方を正しく認識しなくればならないのである。
そもそも、お金には色がついていない。どのように稼いだお金でも、どのように使うお金でも、お金の色は同じだ。目の前にあるお金の価値は、苦労して稼いだ金も、拾った金も皆同じである。
お金を得るためには、様々な職業がある。良いことであれ、悪いことであれ、何らかの行動を起こさない限り、お金を得ることはできない。お金を得るための行動というのは、経営者でなくても、労働者も、公務員も、アルバイトも、何ら関係ない。つまり、お金を稼ぐというのは、労働したという結果の対価に過ぎないのである。
では、その労働をするためには、人はどうするか。例えば、社員になって稼ごうとすれば、面接を受けるだろう。面接を受ける前には床屋に行くかも知れない。場合によっては、スーツも買うかも知れないし、その何日も前から資格取得のための専門学校に通うかも知れない。
つまり、労働の対価を得るためには、それなりの投資が必要なのである。自らキャリアアップを図るために勉強したり、語学を習ったり、教養を深めたりと自己投資している人は、やった分だけ自分のことを正確に測ることができるから極めて強い。
スポーツで言えば、満足な練習を踏んで、いざ試合に出るようなものである。
これが会社の経営となればなおさらである。社員全体が労働の対価を得られるようにするために、事前の投資というのは当然なことである。
自分が経営者になる前の平社員の頃、自己投資していた人ならば、経営に事前の投資が不要だ何て言うだろうか。
だから、私は、経営者とは稼ぐのが先という思想をお持ちなら、ここから先は読まず、もうこのサイトには訪れないでほしいと言ったのである。自己投資も出来なかった人に、社員の幸せを考えることなどできるはずもなく、また自己投資している社員を評価できるとも思えないからである。
お金は、使わなければ何の効力も持たない。使ってはじめてただの紙が、形になって返ってくる。それが社員教育であれ広告であれ、方法論は別にして、目的意識を持って使ったお金は必ずその対価が返ってくる。お金を回さなければ会社が回らないと言って過言でない。
というと、「お金がないのだから、それは頭で判っていても、お金がないのだから先に投資することはできない」という答えを言う人がいる。私から言わせれば、そういう答えを言う人は、”今の段階”では経営者になる資格がないのである。判りやすく言えば、本来経営とは、お金がある人がやるものである。
ここで言う、お金がある人というのは、沢山ある人というのではない。自分が自由に使えるお金ということである。それは100万円でも200万円でも良い。そのお金を誰にも邪魔される失う覚悟で使うことができる人が経営者である。
ようはお金の大小ではなく、使うことで結果が出るということを知ることが重要なのである。
また、稼いだお金を使うのは、極めて高い判断力が要求される。それは、稼いだという安堵感から、投資判断が誤ったり、ご褒美という感覚で無駄使いをするからである。しかし、同じ社員を慰労する飲み会を開くにしても、稼ぐために使うお金なら、なぜこの会を開くのか意味を持たせようとするだろう。だから、稼いだお金と稼ぐためのお金の使い方は、投資意識、費用対効果を必然的に意識するため、全く異なると言っていい。
経営とは投資である。会社の将来のために、すなわち、社員が将来も労働の対価を得られるようにするために。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年10月29日 16:56