私は、平日はほぼ毎日ジョギングをしている。会社の隣にある三越前のマンションから、大手門を経由して、皇居一周をして約一時間。朝、5時半に起床、7時にはジョギングを終えてシャワーを浴び、7時半には出勤。
私は、精神的に極めて臆病な人間だ。
ジョギングをしているのも、そのため。夜、毎日11時過ぎまで飲んでいるのも、そのためだ。
私は、夜ひとりになると、未来に対する興奮と不安で一杯になる。
これから仕掛けるビジネスに対する期待と、実現するまでの道のりを考えると興奮する。っとその瞬間、そんなことができるのかと不安で一杯になる。つまり、未来を考えるとと眠れなくなるのである。全くなさけない。朝からジョギングをして、夜酒をしても眠れない日がほぼ何日。
今や、眠れない日は、苦痛というよりは習慣となり、日々の友となった。そして、その時間を活用して、アイデアを考える絶好の機会にしている。
そもそも未来とは何だ。
未だ訪れていない、全く起こり得ることが予想できるはずもないものである。言わば、未だ目の前に現れていない敵だ。いや敵か味方かすら判らない。それなのに、なぜ未来に不安を覚えるのか。
過去があるからだ。
人は、過去の成功例を通じて、未来を楽観的に考え、過去の失敗を踏まえて、未来を悲観的に考える。未来を判断する基準は全てが過去なのだ。でも、未来というには、そもそも過去に経験したものばかりとは限らない。だから、過去に経験していないこともっと不安になる。それも、これも過去を軸に考えているからだ。
そもそも過去とは何だ。
もう過ぎ去ったものだ。修正は不可能である。過ぎた敵が、再度目の前に現れるはずもなく、味方が助けにやってくるわけでもない。過去は過去なのである。過ぎたものは、全てあてにならない。環境も、時間も場所さえも変わっているのだから、同じことが再現する何て考えるほうのがナンセンスなのである。
私たちがこうして生きているのは、過去でもなければ、未来でもない、現在である。そして、この現在は、刻々と未来に向けて進み、刻々と過去を生んでいっている。眠れない時間だってそうだ。明日という未来のことを考えると、眠れない時間は苦痛に感じる。でも、アイデアを考えられる現在と考えれば、有効な時間となる。
私は、長男が重度の知的障害者として生まれた時、未来を悲観した。その時は、過去も現在も同時に表れ、将来のことなど経験では予想できないくらい衝撃的なことであったからだ。
でも、泣いても、笑っても、時間は黙っていても少しづつ過ぎる。過ぎた瞬間に過去を得ることができる。過去を得た瞬間に、良いことと悪いことを経験することになる。良いことが印象深ければ未来を明るく予測し、悪いことが印象深ければ未来を悲観する。そんなことを毎日のように繰り返す。
でも、そもそも現在とは何だ。
今、この瞬間だ。今、この瞬間は、過去でもなければ、未来でもない。起きたことでなければ、まだ起きていないことではない。現実に、今、目の前で起きていることである。
既に過ぎ去った過去を悔やんでも、反省しても、過去を消すことはできない。やれるのは、その過去を分析し、同じような失敗をしない方法を選択することである。
そして、未来だって同じだ。未だ訪れていない未来に対して、怯える必要はない。まだ、訪れていないのだから。
過去はもう既に存在しないし、未来もまだ存在しない。
今、目の前に存在しているのは、現在だけである。
リーダーにとって、最大の的は、過去でもなければ、未来でもない。私自身の考えを迷わす過去の経験や未来への予測、現在の自分の気持ちの持ちようである。自分が自分の過去や未来に押しつぶされるのである。
今を生きる、現在のことを考えれば良いのである。現在起きていることをクリヤーする方法の先に、未来が見えてくる。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年11月14日 06:00