人を信じることができるか。人に信じられるか。信じるが先か信じられるのが先なのだろうか。答えは、信じることが先だ。
信じられなければ信じることができないというのでは、あまりにも受身であり、本位ではない。
経営者というのは、人に対して実に慎重である。自分が騙されるのではないか、裏切られるのではないか、罠にはまるのでないかと、いつも他人に疑いの目を持っている人も多い。戦国時代から、武将というのはそもそもそういうものだろうか。
頂点に上り詰めると、もう下りることはできないし、それ以上もう上ることもできない。この頂点を維持しようという考えがあると、人間は臆病になり、慎重になり、リスクヘッジするようになる。
社長は会社のトップである以上、様々なリスクを想定するのは当然だ。99人がまじめに働いているのに、たった一人の犯罪者が社内に忍び込んでいたら、会社が崩壊するばかりか、社会にも多大な迷惑と被害を与えるかも知れない。そのためには、人を見たら疑う気持ちでいることは重要であろう。
私もそれは否定しない。しかし、その気持ちが表情や言葉に表れるのは、如何なものかと思う。
もし、出会った瞬間に、「あなたは怪しい」という気持ちが顔に書いてあったら、その人と真剣に付き合えるだろうか。
経営とは「ヒト、カネ、モノ」だ。この順番の通りに一番重要なのはヒトだ。私は、ここで言うヒトとは、社員だけでなく、あらゆる出会った人のことと考えている。経営とは、出会いがなければ、何も進まないと言っても過言ではないと思っている。
人との出会いで、つながりを持ち、アイデアが生まれ、新しい事業や商品がスタートするかもしれない。勿論、新しい社員との出会いも大切である。常に新しい人を受け入れる姿勢があり、拡張している企業は、活気があり、成長している。
そういう意味で成長企業というのは、リスクよりリターンを求めて、新しい可能性に賭け、新しい人との出会いを歓迎していると言っていいだろう。
人を信じられない人が、人に信じられるだろうか。
信じられたくないと思っている人もいないだろう。誰しも人には信じてほしいはずだ。それなのに、人は信じないという姿勢で、信じろというのは虫がよしすぎる。
頂点にいると、上から下を見る癖ができてしまう。他社の社員なのに、あるいは全く異業種の人なのに、自分の部下を見る目で見る人がいる。それは、単に態度が大きいだとか、横柄だとかというものではなく、対等の関係を築くことができない麻痺症状に陥っているのである。
同族経営者に多い。
元々家族主義で、こよなく家族を大切にする一方、他人は信じられない。その人の論によれば、なるほど多くの裏切り行為にあったり、任せて失敗したりしているらしい。どうやらそういうトラウマがより一層、人を信じない論に確信を持っているようだ。
信じていたのに裏切られたからと言う。
信じて任せていた人がいなくなったから、組織がガタガタになったとも言う。
最初から信じていなければ、裏切られても想定範囲だと言う。
一部だけを担当させておけば、全体がガタガタになることがないと言う。
だから信じないと。
社長から「私は人を信じません」と聞いて、それでも、そんな会社の社員になりたいと思う人がいるとでも考えているのだろうか。当然、それを言ったら社員がいなくなるから、その社長は決して言わない。そもそも信じていないのだから、本当のことなど言いやしない。
なんじゃそれは。
裏切った人より、裏切られたその人のほうが悪く思えてならない。
任せられていたという人は、押し付けられていただけで、自由にさせてもらっていたのではないのだろうか。
私は、断言する。信じるのが先だ。こちらから信じなければ、信じてもらえるはずもなく、信じてもらえないと思えば、裏切る人が出るのは当然だ。信じられて、嫌な人はいないが、信じられないことほど悲しいものはない。
信じるのが先だ。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年12月 3日 06:17