今の時代は、郵便の手紙をもらうことが少なくなった。私も、インターネットや携帯電話が普及する以前は、手紙を書いていた。いつから手紙を書かなくなったのだろうか。
最近、手紙をもらうことが何度かあった。
お礼の手紙である。もちろん、手書きだ。その多くは、一緒に会食を共にしたときの礼状で、手紙の主は、営業マンである。便箋に、自筆の挨拶が書いてある。どんなに社交辞令だと判っていても、手書きの手紙を読まないではいられない。
極めて稀なことだから、いっぺんで手紙の主の名前を覚えてしまう。不思議なものだ。
証券会社や保険会社の人に多いのだが、これは会社で指導しているのだろうか。
ところが先日、営業マンでない人から初めて手紙をもらった。その相手は、数日前に面談をした若者だった。面談時に私から聞いた内容への感想と、お礼の手紙だった。面談した時は、おとなしい感じで、どちらかと言うと印象が薄かったから、少し以外であった。
挨拶というのは、実に大切である。そんなことは、子供じゃないのだから、誰だって知っている。しかし、お礼の気持ちはあっても、伝えなければないのと何ら変わらない。つまり、「ありがとう」という言葉を口にしたり、手紙にしたりと行動しなければ、ありがたくはないと思っているのと同じなのである。
手紙をくれた若者もいれば、メールさえないのも多い。
偶々同じ日に面談した若者は、手紙をくれた人と違って、一生懸命に自己アピールしていた。そして、何とか採用してほしいと真剣に訴えていた。そんな人に限って、メールもない。
この差は何なのか。
お礼を言えなんてつもりは毛頭ないが、アピールしていたのが薄っぺらに思えてならない。もちろん面談だから、自己アピールはするだろう、しかし、それを本気と思わせるのは、言葉だけでなく行動が重要だ。
何も手書きの手紙を書けというつもりもない。たった数行のメールがなぜ出せないのか、そのアピールが強いほどそのギャップを感じてしまう。
人間なんて、人に好きと言われたら、そんなに好きでなくても嫌いには思わないものである。社交辞令の手紙と判っていても、便箋にお礼を書くことは、そう簡単ではない。どんなに暇があってもできるものではない。何人も何人にも同じ内容の手紙を出すにしても、切手を貼って送るのは手間なはずだ。
私も、お礼の手紙を書くなってことはできないから、これを人に勧めようとは思わないが、メールくらいは出すべきだと思っている。
アピールするなら、言葉より態度や行動が重要だ。心に思っていても、言わなければ思っていないのと同じ。しかし、例え、口にしても、本気か嘘か、どう受け取られるかは相手次第だ。口にしたことを、態度、行動で表せないのなら、心に思っていないのと何ら変わらない。
言動より行動。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年12月20日 07:29