誰でも新しいことにチャレンジするには、勇気が必要だ。では、勇気とは何か。私が考える勇気とは、極めて慎重に考える自分と、ハチャメチャ無鉄砲ないい加減さの中間にある考える。
勇気とは、勢い良く飛び出すことだけではない。飛び出すためには、もがき苦しみ、慎重にも慎重な上で、考え、悩み、その上で、心底から決断する。こうして、勇気というのは生まれるのだと思う。
生まれたばかりの赤ちゃんは、全てが未経験だから、危険なものを口に入れたり、熱いものを触ろうとしたりする。これは、怖い、危険という経験をしていないからであって、好奇心が優先し、勇気などという概念なしにどんどん動き回るようになる。
痛い思いをしたり、ママに叱られることによって、次第に危険を知り、やがて好奇心だけの感情に、恐怖心という全く正反対のものが誕生する。
一旦、人は、恐怖心を持つと、かつての経験の延長線上を想像するようになる。まだ、経験していないことでも、延長線上に思えれば、ちゅうちょする。若いうちは、延長線上にないものや、まだ経験していないものは、好奇心が上回り、進もうとすることができる。だから、若さというのは素晴らしいのだ。
しかし、やがて、好奇心で動いた結果、様々な失敗や悲しい出来事に遭遇することも多くなり、行動した分と同じだけの恐怖心が生まれるのである。行動が多くなればなるほど、好奇心が薄れると言っても良いのかも知れない。
もはや、年配のお年寄りには、好奇心など無くなってしまうのだ。
しかし、人は、心の持ちようというのが重要だ。
色々な行動をしている人ほど、恐怖心も芽生えるが、想定範囲という心の余裕も生まれる。身内での死を見つめたことがある人は、最悪な事態は死であることを知っている。それまでは、極端にしても、行動した結果は、悪いことだけではなく、良いこともあれば、あるいは問題を回避することも次第に身に着けるようになる。
だから、死に対する恐怖は、高齢の年配者と若者とでは違うのではないだろうか。ただ、経験を踏めば、恐怖心だけが増大するのではなく、一方で、想定内という経験から予測できる心の余裕が生まれるのである。
つまり、心の持ちようを高めるには、できるだけ多くの経験をしたほうが良いのである。そして、経験してみようという気持ちこそが勇気なのである。どんなに年齢がいっても、どんなに経験したことがなくても、やってみようと決断することは誰でもできるのである。もし、行くか行かないのか迷い、やらないほうを選ぶことが多くなると、もはや心の持ちようは機能しなくなっているのである。
まず、やってみる。やってダメなら元に戻れば良い。
勇気と自信を勘違いする人も多い。
「私は自信はないから」と、やらないほうを選択する理由を肯定化しようとする。ならば、自信とは何だ。「自信があることならやる」というのなら、その自信はどうして生まれたのか。それは、たんなる過去の経験しかない。経験したことだからやれると言っているのみなのである。
それでは、違った経験や、経験の幅を広げることなど出来ない。やれることだけをやっていては、成長しないのだ。
自信がないのではなく、勇気がないのである。それを混同している。経験がないことは、誰でも自信がない。未経験のことにチャレンジするのは、自信があるからではなく、勇気があるからやれるのだ。
勇気を持て。そして、まず、やってみろ。
どんなこともでもやれば必ず出来る。やらなければ出来ない。出来ないという人は、やろうしないからだ。
これは、上杉鷹山の「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の意味である。
成らぬは人のなさぬなりけり。やらなければ始まらない。
まず、やる。自分にムチを打たないで、誰が打ってくれるのか。自分の背中を押さないで、誰が押してくれるのか。慎重と無鉄砲の中間にある勇気は、ほんの一歩だけ、無鉄砲のほうが上回った時に、行動という形で表面化する。
成せばなる。よし、思いたったらやってみよう。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年12月29日 04:29