【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 3日 『 左手と右手は、矛盾だらけだが、決して片方が無くなっても良いと言うものではない。矛盾の両輪は、私の目指すところ。』


経営者について  「活・喝・勝」


才と徳

子供は、人格を見抜く天才だ。動物的な感覚と言うか、子供達は、大人が子供好きかどうかを見極める能力に長けている。馬が、馬に慣れていない人を一瞬に感じ取るのと同じく、子供たちは、大人が威張る人かどうかを一瞬にして感じ取れるようだ。

大人に好かれる大人と、子供に好かれる大人、どちらが親しみ易い人だろうか。

子供に嫌われる大人が、親しみ易い大人とは言えないであろう。子供たちに好かれるのは、第一に子供を好きでなくてはならない。子供を嫌いな人が子供に好かれるはずはないのだ。人間との関わりがまだ乏しく、純粋な心を持った子供たちには、損得勘定などない。単純に楽しい人か、優しい人かで人を察知する。

私は、養護学校のPTA役員になるまで、こんな当たり前のことを理解していなかった。

一緒に走り回ったり、一緒にブランコに乗ったりして、初めて気がつくことができたのだ。きっと子供たちには、威勢を張って見えたのだと思う。威勢を張ると言うのは、勢い良く見えること、そう威張ることだ。威張っている人が、子供たちから好かれるはずなどあり得ない。

中国の儒学者、司馬光は、才と徳の違いについて、「才が徳より優れている者を小人と言い、徳が才より優れている者を聖人と言う」と言っている。

才が優れている者、つまり才能がある者は、上司から好かれるが、部下から嫌われる傾向がある。それに対し、徳が優れている者は、人徳がある人だ。この人は、部下から慕われるが、仕事ができない場合がある。

成果主義的考えで見れば、仕事ができる人のほうが仕事ができない人よりも良いに決まっている。しかし、それは、経営者から見た従業員への評価だ。

経営者は、従業員から見た経営者の評価というのが大切である。経営者が、従業員に嫌われていて、その会社が結束して仕事に取り組めるはずがない。

経営者とは、才も徳も優れていなければならない。

そう言う私も、才も徳も優れているかと言われれば、そんな完璧な人間じゃない。そもそも私は、徳があるなんて言えるはずもない。どちらかと言うと、自信過剰の、勝手に思い過ごしの才の人間だろう。自分の才能に溺れ、小さい体の小人が大きく見せようと威勢を張っていたに違いない。

才と徳は、どちらが上か。

従業員の時は、成果主義のあおりから才が上だと思っていた。でも、経営者に必要なのは、間違いなく徳だ。経営者は、才がなくても、徳があれば、才がある人が集ってくる。徳がなければ、才がある人は、金を出しても逃げて行くだけである。

徳が重要だ。

つまり、下から慕われるタイプは、上から慕われるタイプよりも経営者向きでなのである。今の世の中、上の顔ばかり伺っている人が多すぎる。下から好かれるには、上に立ち向かわなければあり得ない。上に立てついで、下の意見に耳を傾けさせるのだ。そういう人は、従業員でいる間は、出世など考えないほうが良い。上と当たっていては、上には上がれないからだ。

そういう人は、いち早く、経営者になったほうが良い。

しかし、残念ながら、徳というのはそう簡単なものではない。ご機嫌取りばかりして、下の味方ばかりしていれば、下から慕われるものではない。簡単に言えば、実力が伴わなければ下から尊敬などされない。そう、ただ人が良いだけでは意味がないのだ。下を叱れない上司じゃ全く意味がない。

その上で、下から慕われることが重要なのである。

下から慕われるには、それなりの才が伴う。しかも、才に溺れず、威張ってはダメだ。威張らないで、厳しく叱り、育てる気持ちがなくてはないらない。それが真の優しさだと思う。

子供好きな大人が子供に好かれるのと同様に、下から慕われるには、下を愛さなければダメなんだ。

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投稿者 :堀田信弘: 2007年1月 5日 08:19