節分。我が家には、毎年、鬼がやってくる。子供たちは、両手に豆を持って、鬼に投げつける。鬼は、立派な角がはえた出で立ちで、金棒を持って、子供たちを追いかける。
毎年、我が家の年中行事となっている。
私の妻は、この様子をビデオで撮影し、ライブラリとして保管してある。長女が3歳になった頃から始まった。私の夢は、娘が嫁に嫁ぐとき、このビデオを編集して手渡すことである。
我が家の鬼は、本格的である。昨年の節分のときは、小学校5年生の長女でさえ、目に涙を浮かべるくらい、怖い顔をしている。年々鬼は、鬼らしくなってきた。上から下まで黒のタイツに、本物そっくりの角、鬼の顔の仮面は大人が見ても驚くほど良くできている。
今年の鬼は、さらにバージョンアップ。お面の向こう側を覗かれても良いように、目の周りは黒くメークされ、完全にお面と一体となっている。
鬼になるのはとても楽しい。家中大騒ぎになって、部屋の中は、豆だらけ。やがて、部屋の掃除が終わると、皆で撮影したビデオを鑑賞し、笑いに包まれる。
あと、何年くらいこんな行事ができるのだろうか?
親の私にとっても、とても楽しい思い出になることは間違いない。やがて子供が成長し、こんなに真剣な遊びができなくなることは寂しい。子供たちは、こんな鬼の存在を将来、どう理解してくれるのだろうか。
仕事も遊びも一所懸命。これが私の信条である。普段、単身赴任で仕事に専念させてもらっているお礼に、土日は全力で家族に奉仕している。奉仕すると言うと、苦痛に感じると思うが、私にとってのこの時間は遊びの時間であり、楽しみの時間でもあるから、苦痛ではない。
楽しむことは、仕事でも同じだ。
やらされる仕事、やりたくない仕事は、誰だって苦痛だ。でも、自分から進んでやる仕事、自分が効果的と考えてやる仕事は、苦痛ではない。自分が描いた目標に対し、その過程で起こり得ることを想定しながら走っている姿は、遊びに夢中になっている姿と似ている。
起こり得ることを想定していれば、予想通りに起きた問題は、精神的な余裕を持って対処できる。
楽しむと、楽するのは違う。私は、夢中になることが楽しむことだと思っている。夢中でいれば、忙しさも感じない。忙しいと感じるときは、夢中になれないことが山積みになっているときだ。忙しいというのは、心を亡くすと書く。心を亡くしている状態が、ストレスの状態である。ストレスの状態にあると、仕事でも上手く行かない。パフォーマンスが発揮できないからだ。勿論、そのような状態では、家庭でもやつあたりしてしまうだろう。
肩の力を抜いて、人生を楽しもう。
笑う門には福来る。
「鬼は外、福は内」。
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投稿者 :堀田信弘: 2007年2月 3日 10:07