【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


教育について  「活・喝・勝」


枝葉を切る

良い花実を育てるには、枝葉を切ることを怠ってはいけない。枝葉を切ることで、幹を太らせ、大切な花実に充分な栄養を行き渡せるのだ。もし、枝葉を切るのを怠ったら、花実に均等に栄養が行く反面、ひとつの花実はとびきり優れたものにはならない。本来は、枝葉を切らないのが自然の姿だ。

自然任せでは、良質な花実が生まれないから不思議だ。

人間の枝葉を切るという工夫によって、花実の数を減らし、集中して栄養分が行くようにすることで、自然では得られない花実を生むことができるようになった。

経営における選択と集中に似ている。

これと決めたものを選択し、集中的に資源を振り向ければ、拡散して事業をするよりも高い確率でその事業を太らせることが可能になるという訳だ。

しかし、枝葉を切ると言う考えは、頭で理解していても、実際に経営者が執行することは難しい。

選択が難しいからである。こちらを立てれば、こちらが立たずという壁にぶち当たる。ひとつのものに集中して投資するより、リスクを避けて、分散投資しようとする心理も働く。リスクヘッジは重要だが、花実で例えれば、何も手を打たないで放っておいていたのと結果変わりない。

人事でも同じである。均等に栄養が行くということは、結果平等ということになる。これは社会主義的な考えである。

私は、機会は平等だが、結果は平等ではなく公平であるべきだと思っている。機会を均等に与えても、より良い花実のためには、枝葉を切る勇気も重要なのである。

勿論、より良い花実か否かかの定義は、それぞれ違って良いはず。何が優秀か、どれを選択するかで、それぞれの経営者の考えが表れる。

枝葉を切る、そう簡単なものではない。しかし、経営者がやらなければ、これは経営怠慢であり、子供のしつけをしない放任主義の親と同じようなものだ。

枝葉を切るというのは、余分なものを捨て、大切なものに目をやると言う意味である。

それと同じ表現に、木を見て、森を見ずという言葉がある。小さな木や枝葉に気を取られて、全体を成す森を見落としてしまうと言う意味だ。枝葉や木よりももっと大きな視点である森で全体を見ようということである。

経営者にとって、森を見ることは極めて重要だ。

特に、サラリーマンを経験した人にとって、理屈で判っていても、森を見ると言うことは以外にできない。

それはなぜか。

答えは、簡単だ。サラリーマンと経営者とは、見るべき視点が違うからである。つまり、サラリーマンの常識は、経営者の非常識になり得るのである。

例えば、メモを取る、という行為。

私は、以前、学校を卒業したばかりの新卒者に、「メモを取れ」と言ってきた。メモを多く取る人ほど、仕事を吸収しようとする意識が高く、仕事の覚えが早い。会社では、「一度言われたことは二度言わせるな」と指導され、メモを取ることの重要さを教えられる。

そうして、十何年か、メモを取ることが常識となる。

しかし、私は、経営者になった時から、あえてメモを取らないと決めている。それはなぜか。メモを取るのは経営者の仕事ではないからだ。

なぜメモを取るか。言われたことをしっかりと留め、間違いのないようにするためである。でも、経営者の仕事は、細かい点よりも、全体として行くべき方向に向かっているか否かを考えることである。

そう、木よりも森を見る仕事なのである。

言い換えれば、枝葉を切り、幹を中心に考えることである。

それは、メモを取ることに夢中になることより、細かいことを切り捨て、心に残る幹の部分に拘りを持って、自分に考えを選択して行くことなのである。十何年もメモを取れと言われたことが、経営者にとっては、細かい木を見ることになり、枝葉を切れない人になってしまう危険性を孕んでいるのである。

これまで、メモを取っていた経営者は、一度試しにやって見ると良い。どんなに集中して記憶に留めなければならないか、どれほど集中して話を聞かなければならないか、改めて知ることができるだろう。そして、細かいことまでを記憶していては、大きな決断ができなくなることも知るはずだ。

メモを取るのをやめて、細かい部分を切り捨て、心に残った幹を中心に考えるのだ。

枝葉を切る。

経営者にとって、切り捨てることほど難しく、経営者がやらなければならないものはない。全ては良い花実を育てるために。

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投稿者 :堀田信弘: 2007年2月 5日 06:46