【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


企業経営について  「活・喝・勝」


思いやりのある経営

”相手の身になって考え、察して気遣うこと”を、「思いやり」という。私は、恥ずかしいことに経営者になるまで、「思いやり」の意味を正しく理解していなかった。

私はそれまで、「思いやり」とは、”相手の気持ちを考え、気を使うこと”だと捕らえていた。これは、”相手の身になって考え、察して気遣うこと”とは全く違う。

つまり、私の以前の「思いやり」は、私自身が中心であって、相手が中心の思いやりではなかったのだ。自分が良ければ良い一方的で身勝手な「思いやり」であった。

自分が一方的に勝手に相手の気持ちを想像し、その想像されたものに対して、勝手に気を使っていたのだ。

そもそも、他人の心など簡単に理解できるものではない。理解できることを前提とした「思いやり」は、自分勝手であり、傲慢なのである。

末期がんの患者や、うつ病の患者に、「頑張って」と言ってもなんら「思いやり」にはならない。こんなに頑張っているのに、もっと頑張れと言うのかと思われる場合があるからだ。

「頑張って」という言葉は、一見相手をいたわっているように聞こえるが、その言葉を発した人が、頑張っていないように見えるから、また、もっと頑張れば良いのにとうがった言葉にもなるのである。

そもそも、”相手の気持ちを考えて”など、勝手にこちら側が行っているだけなのだ。本来であれば、”相手の身になって考え”なくては行けないのである。

だが、”相手の身になる”ということは、そんなに簡単なことではない。

まず、相手の気持ちなど、本来は理解できないことを念頭に置かなければならない。相手の気持ちが判らないのだから、相手とは慎重に接することが重要なのだ。

相手の気持ちが判るというような錯覚を捨て、相手のことは判らないということを前提に、気を使うことが大切なのではないだろうか。

うつ病の患者に、どう接したら良いかわからない、これが本当の気持ちだ。「頑張って」という言葉以外にも、あらゆる言葉を発するたびにどう捕らえられるか判らない、こういう気持ちを持って接すると、ただただ相手の言葉を聞くことだけしかできないはずである。

大体にして、私はうつ病になったことがない。うつ病になった経験がないのだから、うつ病の人の気持ちを想像することなど不可能なのである。

不可能だからこそ、「思いやり」の気持ちが大切なのであろう。

私は、経営者になる前は、部下から嫌われる横柄な存在であった。

それが、子供が生まれたり、子供が障害をもっていたり、父親を亡くしたり、妻が病気になったりと、嬉しいことや悲しいことを経験することによって、私だけでなく、多くの人が色々な経験をしていることにやっと気がついたのだ。

経営者という人の上に立つ仕事について、部下のことを「思いやる」ことの大切さが今になって理解しつつあるのである。もちろん、理解したなんて言うことはできない。「思いやる」ことの大切さに気がついたに過ぎず、「思いやり」を持った接し方ができるかどうかは一生努力しても終わりはないだろう。

間のなく、出産を控えている女性社員がいる。少しづつお腹が目立つようになってきた。私は、男だから妊婦の経験などしたこともない。だから、私ができるのは、彼女が彼女にしかできないことをしてもらうだけである。彼女の替わりには、なれないのだから。

親の看病をしないといけない社員がいる。ひとりは、そのために「会社を辞める」と言ってきた。でも、私ができるのは、その人が会社に戻ってくるのを待つだけ。仕事や会社が嫌いになって辞めるのとは訳が違う。

私も父を亡くしている。自分が経験したことであれば、誰でも人は「思いやり」を持った接し方ができるものである。

「思いやり」のある経営をしたい。

一生懸命に働きたくても働けない人を救いたい。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2007年3月 3日 14:23