【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


起業・独立  「活・喝・勝」


悲しみが人を優しくする

人は、人にされなければ、判らないことが沢山ある。やさしくされたことがなければ、やさしくできないものである。辛いときに、手を差し伸べてもらった経験がある人は、手を差し伸べることができるものである。悲しい経験をしたことがなければ、悲しい状態を推測することはできないものである。

自分が病気にならなければ、病気になっている人のことなど、判りやしないのだ。

罰があたる。

私もそうだったのかも知れない。

若いうちは、自分が病気になることなど想像もできず、いずれ親が亡くなることなど頭で判って遠い先のことと思っていた。独身のうちは、仕事でも遊びでも好きなだけ自分の時間を自由に使えた。順風な時、人は横柄になるのかも知れない。

私は、根っから上への反発心が強いせいか、権力を持つ人や、横柄な人にはいつも立ち向かおうといううがった考えを持っていた。その考えは、今思うと、上だけでなく下への配慮も欠けていたのかも知れない。私自身が、不幸に見舞われる経験が乏しかったせいか、自分はどうにでもなるといった自惚れがあった。自分が悲しい思いをすることなどありえないという考えすらあったかも知れない。それは、裏返せば、立場の弱い人のことは全く理解していなかったと後悔している。

そんな考えを持っていれば、当然、罰があたる。

今の会社を作る前、5、6年間のうちに様々な出来事が相次いだ。妻の母親が亡くなり、その3年後には、私の父親が亡くなった。父親が亡くなる1ヶ月前、私は、長男が重度の障害者であることを父に伝えた。それから私は、会社を辞めるまで、三度入院した。最後に入院したのは、退職する1ヶ月前だった。妻も二度、大学病院に入院している。私は手術を二度した。今でもその時の薬を毎日服用している。

人間は、悲しいことがあると、必然的にそれから逃れようとするものである。例えば、お葬式。亡くなったことは、とても悲しいが、悲しんでばかりはいられないほど、次から次へとやらなければならないことが続き。実際に経験して、葬式という儀式は、人間が悲しみに浸り続けないための知恵だと思った。もし、葬式という儀式がなくて、亡骸を前に、ずっとたたずんでいたら、いつまでも立ち上がることなどできないだろう。

私の場合、儀式に代わるものが、仕事だった。仕事に打ち込むことで、悲観的な考えを持つより、前向きにしなければというように自分を追い込み、現実から目を背け、仕事のことだけを考えるようにした。

不思議なことに、仕事にのめり込むと、仕事は順調になる。皮肉なことに、仕事が順調になると、色々なトラブルが訪れる。心が葛藤する。ある時までは、いつも強い心が勝っていた。

しかし、その頃の私は、強い心を保つことが、弱い心に耳を傾けなくなっていることに気づかないでいた。

だから、横柄だった。

そして、遂に会社を辞めた。

家庭への時間が作りたいという気持ちで。それまで、家庭のことは、妻に任せきりで、障害のある長男のことも理解していなかった。子供に障害があるにも関わらず、障害者のことなど何も知らなかった。

サラリーマンとして、20年やった。残りの20年は、これまでとは、違った生き方をしたいと思うようになった。

弱い者の声に耳を傾ける、これがこれからの私の生き方だと強く思った。

そして、独立し会社を設立した。

企業経営を通じ、人に厳しさだけの自分ではダメだを感じた。若い起業家を育てたい、困った人を助けたい、心の通った経営がしたいと考えるようになった。優しさとは何なのかを考えるようになった。優しくなかったせいだろう。

PTAやボランティアにも参加した。世の中には、色々な障害を持つ人がいることを知った。世の中には、弱い人のために必死で真面目に働いている人がいることを知った。世の中には、優しい人が沢山いることを知った。

そして、私が如何に弱い人の立場を理解していなかったのか思い知らされたのだ。

会社を設立して、来月で丸3年になる。

4年目、「優しさ」を経営の中にもっと組み入れたいと考えている。

優しい人と出会って、優しさを知ると、何か自分の中の毒が少しづつ抜けて行くような気がする。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2007年3月16日 09:54