参議院選挙が終わった。負けても首相を続投すると言う。「辞めることだけが責任を取る方法ではない」と言った。
「辞めることだけが責任を取る方法ではない」という言葉、私は大嫌いだ。
この言葉を使う人は、その地位にしがみつくことを考えているだけでなく、"潔さ"がない人だ。
人によっては、しがみつくことを考えていないのかも知れない。「私が何とかしなければ」との思いで、残された職務を全うしたいと思っているのだろう。
日本人は、この言葉をこれまで何度聞いたことだろうか。
会社で不祥事があると、部下の首を切り、「事後処理を全うすることが私の責任だ」と言って自らは辞めない。
しかし、マスコミに叩かれ、渋々辞任に追い込まれる。結局は、決断できない社長の尻を叩いてあげないと辞めることができなかった訳だ。
つまり、"潔さ"がないのである。
それに、大体にして「辞めることだけが責任を取る方法ではない」ということ自体が考えられない。
そもそも責任とは何か。
経営者であれば、日々決断して、最善の策を指示しているはずである。責任を持って仕事に取り組んでいるのだ。
それが、もし「全うすることが責任を取ること」だとすれば、日々は責任を持って仕事をしていないのかということになる。
理屈を言えば、全うすることは責任を取ることではなく、責任を遂行することである。遂行は日々行うものである。
ならば、責任を取るというのは、与えられた責任を取り上げられることではないのか。
日々、責任を持って指揮し、遂行してきたのに、問題が発生したとしたなら、その人の普段の指揮や考え方が誤りであったということではないか。
責任を持ってやっていた人でも、その人のやり方では上手く行かなかったのだから、その人がリーダーではダメだということなのだ。
私は、責任を取るとは、辞めること以外にないと確信している。
色々な考え方や異論もあるかも知れないが、誰に何を言われようと、私だったら、責任を取って辞める。
辞めたら残った組織はガタガタになるかも知れない。しかし、ガタガタになるような組織しか作れなかったのも、そのリーダーの責任なのだ。
私は、どんな場面でも、何かを始める時には、辞める時を頭に入れている。始まりがあれば、終わりがあるのだから、どの時点で辞めるかは重要である。
だから、私は、「責任を取って辞める」ということは、問題や負けたから辞める以外に、「責任を全うして辞める」というもうひとつの意味がある。
「責任を全うして辞める」というのは、問題が起きた時ではない。私が目指した最も頂点で辞めることだ。
私の実力は、私自身が一番知っている。だから、その実力を出し切った時、私は責任を全うしたと考える。
例えばそれが会社であるならなば、次のリーダーに託すことが会社がさらに発展することだと感じれば、私の責任は全うできたことになる。
なぜなら、私がいる限り、私より有能な次のリーダーが実力を発揮できないからである。
何れにしても、私の責任の取り方は、辞めることだ。
問題が起きても辞める、最高の実績が上がっても辞める、これが私の責任論である。
この考えが受け入れられないような人は、わがグループにはいてほしくない。なぜなら、そのような人がいれば、最強の組織を作るという私の責任が果たせないからである。
今すぐ辞めるしかない。
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投稿者 :堀田信弘: 2007年7月31日 08:17