国内では、約34秒に1件の割合で交通事故が発生している。一日に約2500件、毎月3万件を越える。これほど発生していると、車に乗る人の中で、これまで一回も事故にあったことのない人ははどれだけいるのだろうか。
「あそこは、事故を起こし易い」と常々言っていた。数週間前にも接触事故があった場所だ。緩やかなカーブになっているところで、センターラインもない狭い道。その場所は、これまで何度もすれ違い時に事故が発生していた。
先日、私の義父の運転する車が、自宅からほんの50メートルもないその場所で事故にあった。
年老いた父は、いつもそのカーブを通るとき、慎重に慎重にゆっくり走る。しかも、家から出て直ぐの場所だから、どんなにアクセルを踏み込んでも、それほどスピードが出せるところではない。
しかし、事故というのは、こちらがどんなに慎重に運転していても発生する。そこまでゆっくり走っていようが、止まっていようが、相手がそこの危険性を認知していなければ、ほんの数秒のタイミングで事故を起こす。ほんの数秒どちらからが先に行っていたら、事故は起きない。事故とは、ある意味で運命的なことである。
いつでも止まれるスピードでゆっくりと、ゆっくりと走っていた。相手の車がスピードを出してカーブに入ってきた。父は、ブレーキをかけて直ぐに止まった。
しかし、相手は止まらない。
止まらなければ、止まってしまった父の車は、相手の動きに任せる以外にない。「無事抜けてくれ」と祈るのと同時だった。
そして、側面から追突された。
幸い、体に異常はなく、車だけが損害を受けた。
警察官がやって来た。「事故は、誰でもやろうと思ってやる人はいません。後は、二人で話し合う以外ありません」と言って去って行った。
何を話し合うのか。
こちらは止まっていたと言っても、相手はお互いだと言う。センターラインもないし、目撃者もいない。
事故とはそういうものか。
そういうものかも知れない。
どんなに危険を予測しても、起きたことは事実だ。止まっていようが動いていようが、事故は起きた。危険なところであろうが、そうでないところであろうが事故が起きたのだから、事前の推測など関係ない。
事故とはそういうことだ。
事故は防ぎようがないかも知れない。
示談の割合がどのようになろうとも、車が傷つき嫌な気分を味わったことはどうしようもない。車が修理されて戻ってこようと、当日に予定していたイベントに参加できなかったことは戻ってこない。
何よりも事故にあったことに対して、数日間は気分が晴れない。
数年前、職場の先輩のお母さんが、自宅から自転車で外に出たところを車にはねられた。免許を取得したばかりの若い女性だった。お母さんは亡くなった。
「事故は、誰でもやろうと思ってやる人はいません。」
それでも、被害者と加害者は生まれる。誰でもやろうと思ってやる人がいない以上、明日はこちらが加害者で、相手が被害者になることもある。悔やんでも、お母さんをはねた苦しみは払拭されない。どんなにお詫びをしても、お母さんは戻ってこない。
これが事故だ。
経営の世界でも事故は起こる。
いつ発生するか、どのような規模か想定できないから厄介である。起きないように慎重にしていても、起こった後の対処を考えていても、事故である限り、防ぎようがないこともある。
経営者は、例えいつ発生するか判らなくても起こりえることに対する備えは必要である。そして、起きた後の対処方法についても、考えておく必要があるだろう。それは当然のことであるが、それ以上に経営者なら、事故とはいつでも起こる可能性があるものという認識を持つことが最も重要に思う。
自分自身トップが事故に会うことも、あるいは幹部が事故に巻き込まれることも、さらには得意先が倒産することも、皆あり得る。考えられないが、自社ビルが天災で倒壊することだってないとは言えない。
全てに備えたいが、全てが想定しきれないから、全てに備えることなどできない。またあるいは、備えていても、その範囲や規模が想定を超えれば意味がない。
仮に、備え通りのことであったとしても、お金や物は戻るかも知れないが、人や気持ちは戻らない。
事故が起これば、憂いある。
備えあれば憂いなしと考えるほうが、経営ではあってはならないと思う。だから備えるなというのではない。備えれば万事OKという考えではダメだいうことである。そして、万が一起きても、動揺せず無難に対処できる機敏性が必要だ。
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投稿者 :堀田信弘: 2007年9月25日 07:57