仮に私が、大草原のアフリカで生まれていたら、今頃私は何をしていることだろう。人間は、生まれた時から、自分ではどうしようもない運命を背負う。子供は、生んだ親を選ぶことはできないから、選択の余地を持たないで育つ環境が決められる。
子供には何ら責任もないのに、親の虐待にあって苦しむ人や、小さな頃に両親が離婚して、施設に預けられる人もいる。学校に行くことよりも生活することを優先され、親と一緒に働かなければならない人もいる。
一方、代々続く名門の家に生まれる人もいれば、華やかな芸能人夫婦の間に生まれる人もいる。父親が外国人で、生まれた時から何の苦労もせずバイリンガルになる人もいる。
さらに、同じ名門の家に生まれたのに、片方は後継者として育てられ、もう一方は障害を持って生まれたために寝たきりの人もいる。
親を恨んでも、憎んでも変えがたい運命がそこにある。つまり、人間とは、誰もがスタートラインが違う不公平な運命を背負らされているのだ。
スタートラインは、誰も違う。自分ではどうしようもし難いことだ。
誰にも言えないくらい辛いことを経験する人もいるだろう。でも、もし、このブログを読める人であるなら、これから先の運命は、自分で切り開けるはずだ。少なくても、このブログを読んでいる人は、もっと辛い思いをして死んでいった人や、読むことも話すこともできないで寝たきりの人よりは不幸ではない。
人間には、不幸比べをする癖がある。私は、こんなに辛いことがあったと同情を引き、他人のもっと辛い体験を聞くと、自分よりはまだましだ自らを慰める。
何を持って不幸かを議論しても意味がない。
障害者が不幸とは限らない。名門の家に生まれたから幸福とも限らない。サラリーマンの普通の平凡な家庭に育った子が、犯罪を犯し、親が嘆くことだってある。誰もが羨むほど成績優秀な子に、親が殺されることだってある。
つまりは、生まれた時点での、神が与えた不公平な環境よりも、その後、どのような運命になるかは、自分次第なのである。
スタートラインが違うと神に抗議しても、もう既に人生というスタートは一方的に切られてしまったのだ。過ぎ去った過去に、文句を言っても何ら解決にはならない。
それよりも、これからの一歩が明日の運命を変えることのほうが遥かに可能性が高い。この記事を読んだ後に、思い切って行動したら、運命的な出会いがあるかも知れない。
神は、我々にスタートラインこそ不公平に与えたが、そこから先の運命までは拘束していない。百歩譲って、もし仮に神が予め定めた運命があるとしても、その運命は、自分の判断で必ず変えられるはずだ。自分が自ら選んだ道さえも、それでもまだ神が定めた運命だと言うのなら、そういうあなたの考え方は、神そのものではないか。
脱線したが、神がどうこうというのは、私の眼中にはない。誰がどのように考えようと自由だが、私は、運命とは必ず変わると信じている。もし、変わらないと考えている人がいるのなら、その通り、そう考える人の運命は変わるはずもない。
変わると信じ、行動した人しか変わらないのだ思う。
このブログは、リーダーとは何かを考えるものだ。少なくても、リーダーを目指す人は、運命を切り開くことができる人でなければならない。運命は変わるものだと信じ、行動に行動あるのみである。変わることを信じられないで、夢中で行動できるとは思えない。
リーダーとは、たった一人になったとしても、皆に変わることを語り、変わるんだと言い続けることが重要なのである。
私は、変わると信じ、必ず変える。押し寄せる不運の風に飲み込まれないように、自ら運をつかむために動く。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2008年10月26日 05:44