1475年、ベルギーのルドウィグ・ヴァン・ベルケムが、現代に通じる研磨法を発見したそうである。それまでダイヤモンドは、ルビイやエメラルドより価値が低く、価格もルビイの8分の1ほどしかなったそうだ。
つまり、ダイヤモンドは、原石のままでは、ほとんど価値が認められていなかったのだ。何しろ、硬い過ぎるダイヤモンドは、カットすることも磨くこともできないとされ、カットや磨きによって光り輝くとは考えられていなかったのだろう。
ルドウィグは、様々な石や道具でダイヤモンドを削ろうとしたが上手く行かなかった。そこで、今度は、ダイヤモンドの粉末を付けた皮で擦ったり、ダイヤモンド同士をこすり合わせたりすると、硬いダイヤモンドが同じダイヤモンドで削ることができることを発見したのである。
元々ダイヤモンドは、ルビイやエメラルドより価値が低い、宝石というよりはただの石だった。ダイヤモンドもルビイもエメラルドも、原石のままでは光り輝かない。磨いて、削って始めて輝く宝石になる。
飛びきり硬くて手の施しようがなかったダイヤモンドは、ダイヤモンド同士を擦り合わせるということで、初めて宝石への道が開かれたのだ。
ダイヤモンドは、ダイヤモンドで磨かれる。
頑固な人間も、人間でしか磨かれないのではないだろうか。
人間は、もし野生で生まれ、何ら教育やしつけも受けず育ったら、野生にいる他の動物とさほど変わらない。ルールや秩序もなく、毎日食べることと、他の動物から襲われないことだけを考え生きる。その姿は、動物そのものである。
しかし、人間は、他の動物と違って、気候変動に対する知恵や、人間同士が協力することを覚えて行く。家族ができ、村ができる。人間が集まれば、争いごとが起こる。そして、その村には、争いを避けるためのルールができる。
他の部族からの襲撃も起こる。戦うことで、両部族はボロボロになる。そこで、対話が生まれ、同盟を結び平和をもたらす。
人間は、人間同士が争い、知恵を出し合い、競い合い磨き合う。悲しみも苦しみも、憎しみも生まれる。それを繰り返し、成長し発展する。
人間は、人間でしか磨かれない。
飛びきり硬くて手の施しようがなかったダイヤモンドは、ダイヤモンド同士を擦り合わせるということで宝石になるのと同様に、わがままで傲慢で、自分勝手で、欲望だらけの人間は、人間同士を擦り合わせ磨かなければただの動物である。
神でもない限り、初めから優れた人間などいない。
経営者もしかりだ。
初めから優秀な経営者などいない。
ダイヤモンドと同じ、初めは皆、原石なのだ。
その原石は、磨かなければ永遠に価値が生まれない。
社員でも同じだ。教育をして、指導をして、訓練をしなければ、原石のままだ。
中途採用の社員でも、まだまだ磨けるはずだ。彼らが経験した範囲で磨いても、それ以上に磨くことはできないが、それ以上に硬い意志で磨けば、必ずどんな人間でも磨かれる。
それは、私自身もそうである。まだまだ磨き甲斐があるはずである。もし、これ以上に磨き甲斐がないとしたら、そこで価値は確定してしまう。
しかし、人間は、生きている間、死ぬ瞬間まで磨くことができる。
人間は、人間でしか磨けない。
この私も、社員や取引先、友人、あらゆる人間に磨かれている。
特に経営者は、社員に磨かれる。経営者に磨かれるのではない。社員に磨かれる。自分を超えるような有能な社員、自分がこれと信用して採用したのに全くその逆であった社員、何れの場合でも、経営者は磨かれる。
磨かれる時は、痛く傷つく。それが磨いている瞬間である。痛く辛くなければ磨かれているとは言えない。何度も何度も裏切られ、何度言っても聞いてもらえない時、その時こそが磨くチャンスである。
アホで、優柔不断で、考えが浅く、人を信用できない人間。そんな原石のままの人間は、人間でしか磨かれない。それなのに、磨かれるの避け、原石のままで居続けようとするならば、いつまで経っても光り輝くことはない。
それが経営者なら、永遠に会社は発展しない。会社の発展は、経営者の成長そのものだから。
人間は、人間で磨かれる。
経営者は、社員に磨かれる。
自分を磨けるのは、磨いてくれる人がいるからである。自分の背丈にあった自分を磨くのに適した人と出会う。その人が、良いとか悪いとかは関係ない。自分を磨くために、自分の前に訪れたのだ。
これから先、どう磨かれるのか楽しみである。磨かれるのは辛いことばかりだが、磨かれればこそ成長し、輝くことだろう。
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投稿者 :堀田信弘: 2008年11月29日 05:54