【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


リーダーについて  「活・喝・勝」


新「活・喝・勝」へ

外には、金色に光り輝く仏塔(バコダ)があちこちに見える。眩しいくらいに輝いているその傍を、何十人もの僧侶が歩いている。ここは、ゴールデンアイランドと呼ばれる仏教徒の国、ミャンマー・ヤンゴンだ。私は、この地で、このブログの誕生日を迎えた。

2004年11月11日、このブログのタイトル「活・喝・勝」は、社長の佐々木弘が名付け、スタートした。今日でちょうど4年が経った。

最初の記事は、『「活・喝・勝」を主題に、業界、経営、社会問題など幅広く"カツ"のコラムを投稿します。横から、斜めから見た私勝手な切り口で掲載します』と宣言した。

私は当初、『喝』を中心に書いた。

『喝』の意味を知っているだろうか。『喝』は、禅宗で励まし叱る時の叫び声と広辞苑にある。修行者の迷いをさますため、僧が励まし叱るために大声を出して叫ぶことなのだ。

私は、政治や経済、社会問題に対し、『喝』と叫んだ。この記事を読んだ自民党本部は、三度も私を党本部に招致し当時の幹事長と会った。

やがて、私は、評論家のように政治や経済、社会問題に対して、大声で叫んでも無意味なこと、あるいはその資格がないことに気がついた。『喝』は、修行者が迷っている姿を見て、僧が大声で励まし叱ることである。

私は、修行者でもない政治や経済、社会問題に対して無意味な大声をあげていたのだ。しかも、自分自身も経営という修行中の身でありながら、それを指導する僧の如く、励まし叱ることなどできないと感じるようになったのだ。

2006年1月1日、『「喝」から「活」へ』の中で、私は、これからは『活』を中心に書くことにした。

『活』の意味を知っているだろうか。『活』は、勢いよく動きまわることと広辞苑にある。それを他に与えることを、活を入れると言い、元気づける、気力を起こさせることを意味する。だから、喝を入れるというのは、誤用であって、元気づける、気力を起こさせることは、活を入れると書くのである。

私は、それを知って以来、政治や社会問題に関して批評することをやめた。それ以来、私は、自分自身に活を入れるために書くことにした。そして、これを読んでくれる読者をわが社の幹部と位置づけ、リーダーとは何ぞやということを共に考え、彼らを元気づけ、気力を起こさせる目的で日々書いた。

私が、このブログを書く目的は、『勝』ためである。私の言う『勝』とは、己に勝つことである。一生終わりのない戦いに勝つことである。己ほど手ごわい敵はいない。

この手ごわい敵と戦わずして、他との競争に勝てるはずもない。最も身近にいる敵と戦い続け、己の弱点を克服し、己の利点を伸ばす。この戦いこそが、私がこのブログを書く大きな目的である。

私が書いて批難する最大の敵は自分だ。自分に向って跳ね返ってくる言葉を、活を入れることで表現している。あたかも他人や部下に向けられている酷評は、いつも私の胸に刺さる。言えば言うほど、私は痛みを感じ、自分が成し遂げないといけない目標を自らに課す。

そして、今日で4年が経った。

こうして4年間を振り返り、自分なりに、御託を並べて見たが、実に虚しい。

私は、最初、修行者の迷いをさますため、僧が励まし叱ることとも知らず、世間に喝と大声をあげていた。修行を終えた立派な僧でもないのに、私は勘違いをしていた。

そして、今度は、自分自身に活を入れ、わが社の幹部に元気を与え、気力を起こさせようとした。

しかし、己に勝つという目的に対し、私の論は、酷評ばかりだった。

私は、私自身を励まし叱るために喝と大声をあげなければならない。私は、自分に活を入れ、自らが勢いよく動きまわらなければならない。私が己に勝つために、私は、他人を認め、愛し、自分を戒めなければならないと考えている。

新「活・喝・勝」は、これから新しいリーダー像に挑戦してみようと思う。今度の読者は、誰にも読まれることを期待しない、私自身である。

再び外を眺めると、笑顔の尼さんがニコニコと嬉しそうな顔をして歩いているのが見える。私の胸の奥がぽっと暖かくなるのを感じた。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2008年11月11日 05:51