【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


教育について  「活・喝・勝」


思い込みの中で生きている

人間は思い込みの中で生きている。思い込みとは、自分の五感を通した世界、その世界観を自分の意識とし、自分が考えたことを真実と思い込むことだ。

私には、毎日千通近い社員からのメールが届く。ここではメールの文章表現がどうだという些細なことは割愛するが、それでもその人の性格とやらが見えてくる。

中には、文を書くのがとても苦手だという者もいる。そのような人のメールは、"いつも苦手だ"と書いてあるかのように読み取れる。

中には、丁寧にできるだけ詳細に説明したいという者もいる。そのような人のメールは、"いつも細かい"と書いてあるかのように読み取れる。

中には、いつもお詫びから始まる者がいる。ところがいつも、途中から言い訳と反論に変わる。そのような人のメールには、"いつも自分は悪くない"と書いてあるかのように読み取れる。

人間は思い込みの中で生きている。

こうして、文を通じて何かを語っている私も、当然、私の五感を通した世界観でしかものを見ていない。自分が感じたことや、考えたことを真実と思い込み、勝手に自分の保身をしているのかも知れない。

毎日、千通近いメールを見る立場にいると、メールを出したり、返信したりをする語り口を通じて、その人の性格が見えてくる。やがて、性格だけなら良いが、人間の性、嫌らしさ、ずるさ、保身、欲、等々まで見える時がある。

それは、メールだけを見て把握できるものではない。普段言っていることと、メールに書いてあること、実際に行動していることとの矛盾、それらを通じて、私の一方的で、身勝手な五感が、人間の性を感じ取り、思い込む。

人間は思い込みの中で生きている。私も、決して例外ではない。動物のように、何ら根拠もない五感を通した世界観でしかものを見ていないことが多いのだ。

だから、そこに人間としての矛盾と問題が発生する。

自分も五感で感じ、一方的に身勝手な世界観で他人を見る。それは、相手も同じことだと言うことである。つまり、あてにもならない五感で感じ、考え、お互いに自分を表わしているのだ。

片一方だけの五感が狂っていることもあろう。そのように感じるのは、いつも相手ではなく、自分のほうだ。つまり、自分の五感が狂っていると考えることはできないのである。

相手の五感だけが狂っていると感じた瞬間、相手の嫌なところばかりが見える。不思議なことに、相手の嫌なところが見える能力は、正しい。だから、自分の五感は間違っていないと勘違いする。

しかし、多くの場合、お互いに五感は狂っている。そう、相手の嫌なところが見える能力は、正しいが、相手の良いところを見る能力は、もうすでにないのだから。自分だけが正しいと思い込んでいるから、相手を正確に純粋に見る目は塞がれているのである。

部下と部下が、メールでやりとりしている様子を見ると、まざまざとお互いの五感が狂っていることが把握できる。把握できるというのは、私がその当事者として感情を持たずに静観しているからである。

そういう私も唯の人間だ。だから、私も当事者となれば、同じように五感が狂うのであろう。

立派かどうかは別にして、人の上に立って、人のやりとりを見る立場になると、このような人間の嫌らしさをまざまざと見せつけられる。

自分だけが正しく、見方を求め、他人を蹴落とそうとするものがいる。これが、人間の真の姿なのかも知れない。それも、片一方だけではなく、お互いに。

人間は思い込みの中で生きている。思い込みとは、自分の五感を通した世界、その世界観を自分の意識とし、自分が考えたことを真実と思い込むことだ。

しかし、ここには大きな落とし穴があることを知るべきである。

それは、リーダーと言えども同じだ。一方的で勝手な思い込みの中で生きていることが、大きな失敗を招くことを知ることだ。

そして、そして、思い込みを気づかせてくれる参謀がとても重要だということを理解し、大切にすることだ。

人間は、自然に思い込む。勝手に思い込む。だからこそ、それを気づかせてくれる人がいること、そのような人と知り合えることは、リーダーなら尚更に大切なことである。

私自身もそのようなリーダーになりたいし、そして、若いリーダーに助言できる人にもなりたい。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2008年12月 9日 05:57