【堀田信弘の今日の語録】 2010年7月31日 『衰退の陰は、発展と共に常に忍び寄っている。』


障害者について  「活・喝・勝」


感謝できないから戒められないのだ

私は、宗教家でもなければ、賢者でも識者でもない。他人を戒めたり、他人を説教して、私の考え方や思想を押し付けることなど毛頭考えていない。

私は、私のために書いているのだが、もし、これを読んで反対意見があるのなら、議論や反論をする前に、信念を持って行動すれば良い。それで、結果が出れば、私と反対の意見でも役に立ったという意味で光栄だ。

もし、これを読んで参考にできることがあったとして、行動が伴わないのなら、何ら参考にはならなかったということである。

それを前提に、この内容を踏み台にしたら良い。

そして、自分は自分の価値観で結果さえ出せば良いのである。その言葉は、当然、私にも投げかけられる。どんな立派な振りをして、知ったか振りのようなことを書こうが、結果が伴わなければ、唯の落書きと同じだ。

こうして、私は、常に自分を戒めることを意識するようにしている。

私が、自分を戒めるなどということを考えるようになったのは、経営者になってからだ。

それは、同時に感謝することを理解するようになったからでもある。

感謝と戒め、これは一体である。

私の人生は、障害を持つ息子が誕生していなかったら、商売人を目指していたことだろう。経営者ではなく、商売人を。自分のやり方や自分の実力を試すには、商売人が良いと考えていた。簡単に言えば金儲けだ。

しかし、息子が生まれ、様々な福祉関係の人やボランティアの人と出会い、競争社会にいる商売人とは正反対の世界があることを知った。

一日でも長く生きていることに感謝し、助けあい、励まし合って生きている。

走ろうと思えば走れ、話そうと思えば何でも言える健常者と違い、障害者は、生まれた時から助けられて生きている。健常者は、何でもやれる自由があるのに、何もしない。多少の壁にぶつかれば、落ち込み、嘆き、果てには自ら命を絶つ者さえもいる。

障害者は、必至で生き、助けのもとに生かされている。多少の壁どころか、生まれた時から越えられない大きな壁を前にして、何とかそれでも越えようと必死なのだ。

私がもし、障害者とのふれ合いを知らなかったら、私は感謝という気持ちなど、頭では判っていてもこうして言葉に表すことなどできなかっただろう。

私のような人間は、簡単には感謝などという大それた気持ちを容易には持てない。特定の宗教を信じ、感謝の大切さを染み込まされているのならまだしも、何ら不自由も不幸な思いもしたことがないような人間が、感謝など意識できるはずもない。

涙が出るくらいの、助け、感謝してもやまないような温かい出来事をされて初めて、感謝を知る。人は、感謝されることをするよりも、感謝することをされなければ、そう簡単には感謝という意味を理解できないのである。

身内に障害者がいない人は、障害者の大変さを頭でも判っても、恐らく、その苦悩や苦労は判らないはずだ。それは、私自身もそうだったから、判らないことを責める必要もないし、知らなければならないと言うつもりはない。

しかし、私がそうであったように、ならば、どうしたら感謝を知ることができるのだろうか。私も感謝など意識していなかった訳だから、私にはその回答を持ち合わせていないのだが。

私が感謝を知ったのは、感謝しなければという偽善的な心を無理やり持つよりも、私が感謝することをされたからである。だから、私は、感謝をすることよりも、私も感謝してもらえるようなことをしたいと思うようになった。

しかし、感謝してもらえるようなことを意図した行動も、これまた偽善的な心である。相手に感謝を要求するような考え方がある以上、感謝はしてもらえない。

そこで重要なことは、自分を戒めることである。

自分の偽善な心を戒める気持ちこそが、感謝を考えるきっかけとなる。自分を戒められない人は、人に感謝できない。人を感謝できない人は、自分んを戒めることなどできないのである。

我々経営者は、お客さまや従業員、取引先に助けられていると言って過言ではない。自分の商品や技術者が優れているから売れたのではなく、それを認め理解してくれる人がいたから売れたのだ。売れたことを自分の才覚と思う前に、理解して買ってくれたことに感謝することができるかである。

ほんのわずかなお客さまが投じてくれたお金で、私たちの生活はこの瞬間助けられたのだ。そして、経営者を最も助けているのは、従業員だ。彼らが、経営者を信じ、会社を愛してくれなければ、自社のサービスを心をこめてお客さまに提案できるはずなどない。従業員が、経営者の考えを理解して、一緒に働いてくれたからだ。

私は、まだまだ未熟な人間だから、このように頭で判っていても、感謝の気持ちを皆に表しているかと言えば、情けないくらいできていないと自覚している。

それは、親にも家族にさえもそうだ。

しかし、感謝されるようなことは偽善と思われようとも、できるだけ行動したいと思う。感謝していることを軽々く口にするよりも、感謝の気持ちを持たれるような行動、態度で示すことのほうが遥かに重要だからである。

そして、それが偽善と言われない、純粋な心が持てるようになるには、口だけではなく、行動で自分を戒めることである。

感謝されるような行動ができないのは、自分を戒めていないからである。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2008年12月25日 05:02