【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


リーダーについて  「活・喝・勝」


覚悟がない者はリーダーにあらず

私が、最初にこのブログで決断という言葉を用いたのは、2005年3月11日の「判断と決断との違い」である。

私は当時、『頭の回転が速い人ほど、「判断」を早くしなければという妄想がある』と判断と決断を混同して用いるリーダーに対し、軽い判断、意を決していない決断について、問題提起した。

それは、リーダーたる者の考え方に重みがなければ行けないという戒めである。

「これで本当に良いのか」と尋ねると、「良いです」と答える。私が、「それなら、このような場合にはどうするのか」と尋ねると、それに対する回答がない。

このような場面を見ると、判断と決断を混同しているのか、あるいは決断の意味を、重みを認識していないのかと愕然とする。

私が『頭の回転が速い人ほど、「判断」を早くしなければという妄想がある』と言ったのは、判断が早い人は、総じて軽い。そして、浅い。リーダーとしての重みが感じられない人である。そして、判断を早くするという行為を大いに誤解し、頭の回転が速いと勘違いしているのである。

そういう私も、実は同じ部類の人間だ。

しかし、私は、判断を早くするための想定問答を誰よりも多く繰り返すことで、擬似的に判断が早く見せかけている。つまり、私は、とっさの判断という瞬間的な高速思考を持ち合わせていないのである。

そして、同時に、判断という次元よりも、決断という次のステージのほうを遥かに重視しているから、判断を軽んじているところがある。

私は、リーダーにとって、如何に決断することが重要かを考え、後輩たちにも伝えたかった。

しかし、最近になって、リーダーが決断というレベルではこと足りないということを理解始めた。私は、軽々と判断するなと言い、リーダーなら真剣に決断せよと言ったが、この程度の考え方は、周囲を見渡せばどこにでもいる。

つまり、決断などというこの程度のレベルでは、まだまだ真剣さが足りないのである。

決断とは何か。

ある事象を心で判断して、こうありたいと意を決する。つまり、良しやろうと頭で決意する。自分が意を決めれば決意したことになる。だが、決意しても、行動が伴わなければ、気持ちを固めただけに過ぎない。そして、次のステップは、決断だ。

何が何でもやってみると一歩を踏み出し、意を決した事項をいざ断行することである。そう、頭で考え決めたことを、体で行動することである。

行動しなければ、決断したことにはならない。我武者羅に行動することだ。

だが、我武者羅に行動するとは何か。

決断した人は、みな我武者羅に行動しているのだろうか。

とんでもない。確かに決断し、行動してはいるが、必死に、我武者羅になっているかと言えば、とてもそのレベルには達していない。

つまり、決断して行動する程度では、何が何でもやってやるという領域には達していないのである。

では、何が足りないのか。

それは、覚悟だ。

全てを失う覚悟だ。全てを捧げる覚悟だ。

ところが、私には、それが欠けているからか、それを伝えることが出来ていない。例えば、単純な例では、何を得るために、何かかを止める、何かを我慢するという生活と密着したものを捨てることができない。

つまり、覚悟が感じられない。

それは、私自身が、そのように覚悟がない人を排除する覚悟がないからだろう。私の甘えこそが、覚悟がない口だけの決断とやらの行動に誤魔化されてしまうのであろう。

私は、これから決断などという表面的な行動ではなく、何かをやる時には何かを止める、あるいは何かを捧げる、何かを失うことを前提とした覚悟のほうを信じようと思う。

それは、私自身に対しての戒めも含めてである。覚悟がない者はリーダーにあらず。

全てを失う覚悟、全ての時間と全てのお金を費やす覚悟がなければ、経営者など目指すべきではない。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2008年12月29日 05:03