思春期とは、自立期の始まりである。14才になった私の長女は、思春期の真っただ中だ。いつも何かに苛立ちを感じ、社会のマイナス面にばかりを吸収しているかのようだ。
振りかえれば、私の思春期もそうであった。それまでは、当たり前のようなことが、いつの日からか反発、反感を持ち、素直には受け入れられなかった。
中学生の頃、一本の電話が鳴った。
「息子さんは、最近態度が良くない」と。中学校の教師からだった。
担任でもないし、何の教科も教えてもらっていない教師だ。その先生は、数学の教師をしていた私の父親の一つ年上の教師の奥さんである。
私の父親に別件で話をするついでに、私の話をしたのである。
私のことなど何も知らない教師が、他の教師から聞いたような情報で「最近態度が良くない」と言われたことに対し、私は、激しい憤りを感じた。教師など信じられないと思った。
そして、その話を鵜呑みにして、私を叱りつけようとした父親に対しても、私は腹立たしくなった。そして、私はカッとなって、遂に父親と取っ組み合いとなり、柔道家の父親に投げ飛ばされた。
それ以来、私は、絶対に教師にはなりたくないと考えるようになった。
大人たちは、思春期を自立期ではなく、反抗期として捉える。それまでの安定期とは異なり、いつも何かに苛立ちを感じ、社会のマイナス面にばかりを吸収しているかのようだからだ。
それまでの素直さがなくなり、反発、反感を持ち、反抗することだけが目につくからであろう。
しかし、本来、自立とは、自分で考えて判断し、行動できるようになることである。親や教師の言いなりになるのではなく、自分で考え判断して、適切な行動が取れるようになることである。
自分自身を振り返ると、思春期の前半は、自立期の始まりで、反抗期そのものであった。本当の意味で自立できたのは、高校を卒業し、一人暮らしをするようになってからである。
他に依存せずに、自分の力で立ちあがり、経済的にも自分でやっていけることを自立という。反抗期は、その第一歩ではあるが、単に反発、反感を持ち、反抗することだけでは、いつまで経っても自立などできない。
自律という言葉がある。
自律とは、自分で自分を律すること。つまり、自分で自分の行為を規制し、自分で自分の目標や自身への規律を立てて行動することである。自発的に自分を戒めることである。
だから、自立と自律は違う。
私は、経営者とは、自律できる人だと考えている。特にトップである社長は、誰よりも高い自律心が求められる。なぜなら、トップを律して、戒める人は、トップ自身でしかないからである。
だから、これから起業を目指して独立しようと考えている人は、自律できる人でないといけない。独立を自立と履き違えてはいけない。自律できないような人が経営者になれば、ただ単に現状に対し反発、反感を持ち、反抗して、現状から逃避するようなものである。
そのような反抗期の状態の人間が、経営など務まるはずがない。
独立心があることは良いことである。現状に不満を持ち、反発、反感を持ち、反抗する気持ちが生まれることも自然である。しかし、その程度の中学生のような考え方では、自律など程遠い。
そもそも、中学生がそうであるように、そのような状態で自律など考えられるはずがない。それでは、トップとして人の上に立ち振る舞うことは不可能である。
自律なくして自立なし。
私は、会社を辞めて会社を興したが、独立したという考えは持っていない。
一部門を切り離して、分離独立した訳でもなく、顧客を持ち逃げした訳でもない。全く別の事業を、全く新しい顧客を開拓し、ゼロからスタートした。私からすると、独立という考えが先行する人は、反抗期の中学生が考える反乱のようなものである。独立イコール反乱である。
起業を目指す人は、反乱などせず、自律して自立を目指してほしい。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年1月13日 05:22