【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


嬉しい出来事  「活・喝・勝」


大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな

年が明けて、NHKの大河ドラマ『秀吉』が始まっていた。1月5日、自社さ連立政権の村山富一首相が退陣を表明した。その二日後の1月7日、岡本太郎と、三橋美智也が亡くなった。4日後の1月11日、橋本龍太郎内閣が発足。 1週間後の1月19日、50年続いた日本社会党は、現在の社民党に変更された。翌2日後、1月21日漫才師の横山やすしが死去した。

これらの出来事は、平成8年(1996年)1月のことである。

そして、今から13年前の今日、平成8年1月25日22時45分、私の親父が亡くなった。その日は、親父の母親の命日でもあった。親父と祖母の命日が同じになった日だ。

親父は、村山富一が退陣したニュースを食い入るように見ていた。私はその夜、涙を流しながら、私の息子、親父の初孫が、重度の知的障害を持っていることを親父に伝えた。

親父は、「大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな」と言った。

当時、親父は、県の教育次長というナンバー2の立場にあった。ナンバー2と言っても、教員現場出身では事実上のトップである。配下には2万人近い教職員がおり、1月は、県議会での予算編成、答弁、新年度の人事異動と最も忙しい時期だった。

その日も、いつもの通りに県庁に向かった。

20時頃、酒席で気分が悪くなった。救急車が到着。親父を乗せようとしたが、「大丈夫だ。きっと良くなる。心配するな」と言って断ったそうだ。1時間後、抱えられるようにして帰宅した。

着替えて床に入る。

30分後、私は、生まれて初めて救急車を呼んだ。

既に心臓が停止していた。

20日前に58才の誕生日を向かえたばかりだった。急性心不全だった。

あれから13年経った。

息子は15才になった。私が泣きながら、「話すことも、理解することもできないかも知れない」と医者に言われたことを親父に伝えてから、 13年が経った。

その息子は、自分の名前を漢字で書けるようにまでなり、歌まで歌えるようになった。つい先日は、初めて縄跳びが飛べるようになった。そして、今年、養護学校の高等部に入学する。

親父は、「大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな」と言った。

息子は、その通りに成長した。

私は、この13年間で、何が成長したのだろうか。

世界の経済が混沌とし、厳しい景気。逃げ出したいと思う時もしばしばだ。

今でも親父は、「大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな」と言ってくれるだろうか。

給与を減額したものいる。役員報酬を減額されたものも、ゼロになったものもいる。泣く泣く、会社を去ったものもいる。

今、私は、社員に、「大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな」と言い切れるだろうか。

13年前、私は、何を考え、何を求めていたのだろう。

そして、これから13年後、私は、親父が亡くなった歳と同じ歳を迎える。13年後、私の息子や娘たちは、13年前の私の歳を超えている。私は、子供たちに、「大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな」と言っているのだろうか。

何を根拠に。

年月が過ぎ去るのは、早い。

過ぎ去った年月は早いが、まだ来ない年月は長い。13年後など想像すらできない。

今の私には、1年後さえ想像できないでいる。ところが、日々は、流れるように走り去る。止めようとしても止まらない早さだ。2009年になって25日も経過したが、この25日間の成果は何であったか。たかが25日間だが、一年間の約7%が終わったことになる。

「大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな」。

焦るな、急ぐな、慌てるな。自分を信じれば、大丈夫だ。きっと良くなる、良くするんだ。心配するな、周囲に心配させるな。そんな声が聞こえてきそうだ。

私は、親父に言う。「大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな」と。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年1月25日 05:31