【堀田信弘の今日の語録】 2010年7月31日 『衰退の陰は、発展と共に常に忍び寄っている。』


起業・独立  「活・喝・勝」


ローマは一日にしてならず

熱しやすくて冷めやすい。これは、私の性格である、と言われている。しかし、本人は、そう思っていない。熱しやすくて冷めやすいとは、色々なものに興味を示すが、どれもこれもものにならず飽きてしまうという意味である。

私は幼い頃、剣道、書道、そろばん、英語、等々の数々の習い事をした。私の場合、親から強制的に習わされたものはひとつもなく、自ら進んで習い事を志望した。だから、嫌々ながらに行かされたのではなく、自らが好んでいった。

親は、子供から進んで「これを習いたい」と言われると、仕方なく許してしまうものである。私の場合もそうだった。

私は初めから、それを習って自分のものにするという気はさらさらなかった。どのようなものなのか、興味だけが先行し、やってみて体験することで、自分に合った続けられるものを探そうとしたのである。

しかし、親は違う。習う以上、少しでも身に着けてほしいと考えるものだ。

ところが、そんな期待を私は、物の見事に裏切る。どれひとつとして、長続きしなかった。

「飽きっぽい」と言われた。私は、子供ながらに、「飽きたのではなく、つまらないからだ」と反論を持っていた。が、それは屁理屈だとあしらわれた。

そして、私は、親から、飽きっぽい性格だとレッテルを貼られてしまった。でも、当の本人、私は、決して飽きっぽいとは自覚していない。中には、直ぐに熱して、直ぐに冷めたようなものもあるが、それは飽きたというのではなく、やってみたら、私の想像していたものと違ったに過ぎないと考えているのである。

周囲の人からは、それは屁理屈で、結果としては飽きっぽいからではないと指摘されることがある。

例えば、剣道。大人達は、最低でも小学校6年間通い続けることで満了したとみなす。それ未満ならば、長続きはしないとされる。飽きっぽいとされた私は、それでも3年間続けた。私にとって、3年が短いとは思わなかったのだが。

そもそも、このブログを読んでいる人の中で、仕事以外で、3年間も続けられるようなものはあるのだろうか。私は、子供ながらに疑問を持っていた。

しかも、私は、剣道に飽きたのではなく、上達しない、自分には向かないと感じたから辞めたに過ぎない。もっと簡単に言えば、教えていた先生が嫌いだったからだ。嫌いな先生に習っては伸びるものも伸びず、伸びなければ、自分には向かないのであろうと判断したに過ぎないのである。

だから私は、剣道に飽きたのではない。その証拠に、私は、その先生がいなくなった6年生の時、再び剣道に通った。私は、剣道を嫌いになったのではないのだ。大人が、簡単に事象だけをみて、飽きるなどと決めつけるのは、軽率で、子供の気持ちを判っていないのではないかと感じた。

私は今でも、自分自身では、自分のことを飽きっぽいとは思っていない。

しかし、大人になった今でも、始めたけれどすぐに辞めてしまうものは沢山ある。興味の旺盛さは今でも変わっていない。そして、辞めるのも、飽きたのではなく、興味の対象にないからである。

それでも私は今日時点で、これまで辞めると決めたもの、これからやると決めたものの中で、4つだけは、現在でも進行中だ。これは、私の自慢であり、自信にもなっている。

一つは、禁煙。時間はかかったが見事に止めた。

二つ目は、早起き。今では、自然に目が覚めるようになった。

三つ目は、昨日300回目を達成した、社内朝礼ブログである。

そして、四つ目がこのブログである。2004年11月11日の初投稿から、今回の投稿で605回目となった。

禁煙や早起きは、続ければ習慣になる。一旦、習慣になれば、それをまた変えるのは、難しい。脳において土着化されたからである。

しかし、土着化させるまでは、精神力との葛藤が続く。禁煙できない人や、早起きを続けられない人は、精神力との葛藤の最中にいて、楽なほうを選択しようという誘惑に負けてしまうからだ。辛い思いから抜け出そうとするからだ。

私も今、社内朝礼ブログとこのブログの継続には、未だに葛藤している。とても土着化できるほど習慣にはなっていない。

毎日、毎回、書くことに悩み、休んでしまう、辞めてしまうという誘惑と戦っている。

このブログを読んでいる人は、自分自身で何かを辞めようと、何かをやると決心したものについて、今日今現在、どれくらい継続しているだろうか。いくつ続けているか。何年続けているのだろうか。

日本での脳科学の第一人者の茂木健一郎氏は、「新鮮みを感じなくなると、脳は飽きる。でもその時、相手に変化を求めるのではなく、自分が変化すればいい。自分が変われば、飽きることはない。」と言っている。

私は、朝礼ブログや、このブログを通じて、自分が変わるということを常に意識している。簡単には変わらないが、変わろうとしようとすることは重要である。何でも良いから変わろうとする気持ちが重要なのだ。それすらないのは、生理現象の如く、脳は簡単に飽きてしまう。

常に変化を求め、脳を飽きさせることなく、新しい自分を見つけようとする。

ローマは一日にしてならず。

ということわざがある。継続は力なりという言葉がある。

日々の積み重ねほど、難しいものはない。

何が、飽きっぽいだ。言うのは簡単だ。私は、その言葉を言われる筋合いはない。今、思う。継続できないのと、飽きっぽいのは違うと。

飽きるのは、生理現象だから仕方ない。だから、飽きてしまうことに、とやかく言うのはナンセンスである。飽きるてしまうのは結構だ。

ならば、あなたにとって飽きないものを、継続しているものを見せて見よ。誘惑との戦いに葛藤しているものは何なのか、それを示してほしい。何でも良いから、継続しているものは何か。

それに答えられない人は、他人と競争する前に、自分との競争に負けていることを知るべきだ。そして、それが経営者なら恥じるべきだ。

ローマは一日にしてならず。

一日では、ならないのだ。何年も、何世紀も、継続することで、少しづつ、少しづつ形にして行く。経営もしかりである。一日ではならない。何を継続し、何を変化させることかだ。

継続は、相手に変化を求めることではなく、自分が変化しようとすることで生まれる。変化しようという気持ちがなければ、継続はできない。継続できないのは、変化しようという意思が弱いからだ。意志が弱ければ、継続はできない。つまりは、経営で言うならば、衰退するということである。

ローマは一日にしてならず。継続は力なり。

私は、自分のことを飽きっぽいとは思っていない。

いざ、何かを継続してみよ。自分を変えるために。私も、5つ目の継続について、自身で見つけようと思っている。それは、自分が変化し続けるためにである。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年1月27日 05:34