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若者について  「活・喝・勝」


後生畏る可し

私は2005年1月3日「生活と生きることの違い」の中で、『自分がどういう生き方をしたいという意気込みがない人は、お断りする。うちに来ても不幸になるだけ。私は苦労をしてくれた人しか幸せにする自信はない。そういう人とは家族と同様に接したい。』と書いた。

この記事が、私が最初に若者への思いを書いたものである。その後、私は、87回も若者について書き続けている。

私の若者への考えは、蛮勇力青春の詩が全てである。その二つを足した考えが、後生(こうせい)畏(おそ)る可(べ)しという言葉である。後生畏る可しとは、広辞苑によると「後進の者は努力次第で将来どんな大人物になるかわからないからおそるべきである。」とある。

この言葉は、孔子の論語にある後生可畏(こうせいかい)が元になっている。子曰わく、後生(こうせい)畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯(そ)れ亦(また)畏るるに足らざるのみ。

孔子は言う。若者とは恐るべきものだ。彼らには君たちよりも優秀になる可能性があるからだ。現在の君たちには、到底及ばないことを知るだろう。四十歳、五十歳になっても、名声を得られないとするならば、君らにはもはや見込みが無い。孔子の言葉は手厳しい。

孔子の後生可畏には、これまで私がこのブログで書いてきた二つのことが凝縮されている。

ひとつは、若者の可能性についてだ。若さは偉大な武器であり、経験や理屈に基づかない勢いという魅力がある。だから、私は、若いというだけの理由で、その可能性を見てみたいという好奇心が働くのである。

私のこの考えを最も表している言葉は、蛮勇だ。蛮勇力がある人間こそが、私が求める若者の姿である。私は、そのような若者を求め、託し、一緒に働きたいと願って止まない。できれば、私が支える側になるくらいの若い蛮勇力を持った人間と出会いたいのである。

そして、もう一つは、若者の定義。私が定義する若者とは、年齢ではない。孔子は具体的に、四十五十を過ぎて名声を得られないのであれば、もはや見込みはないと、年齢を定義している。言っていること、、考え方は同じだが、私は年齢を定義していない。なぜなら、二十三十でも若者らしくないものも多数おり、四十五十でも若いものもいるからである。

私のその考えを最も表している言葉は、青春の詩だ。" 青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ"、から始まるこの文では、若者とは何ぞやを示すと同時に、若者の定義は年齢ではないことを示している。

私は最近、私が考えている若者について、そう簡単には見つからない、いない人を求めているのではという疑念を持つようになった。

それは、どんなに若くても、蛮勇力がなく、安全で、リスクの少ない、しかも古くて伝統的な提案や、手法を取り入れようとするものが多いからである。つまり、若さというのは年齢だけで、若々しさが感じられず、弱々しささえ感じる。

そして、四十五十を過ぎて名声を得られないのであれば、もはや見込みはないのだが、それは二十三十でも同じだ。例え二十三十でもリーダーならば、経験の浅い若者を抜擢すべきである。自分が二十三十でリーダーになっておきながら、後生にそれをできないのなら、私には彼らに何の魅力も感じない。ただの年寄りだ。

私は、管理職も経験したことがないような人間でも、若さと勢いと、やる気があれば、どんどんより高い仕事をさせてきた。社長にも抜擢した。

ところが、私と同等に、いや私以上にどんどんと若者を抜擢し、若者の可能性にかける勇気を持ったものが以前現れない。当然、それができないような若年寄りのリーダーなら、蛮勇力を持った人材が、そこに集まるはずもない。

その結果、私の求める蛮勇力のある若者、若者を育て抜擢する側になる者、その両方ともが、私は育ててきれない。それは、私自身の蛮勇力の衰えであり、私自身の若さへの指導力不足なのだと痛感している。

私は、「生活と生きることの違い」の中で『社長になろうというやつは、家庭を犠牲にしなければならない。妻に苦労をかけなければならない。これが最低条件である。』と書いた。

その私が、これからも家庭を犠牲にし続け、妻に苦労をかけ続けることに限界を感じ始めている。それは、私に二つの限界を示しているのかも知れない。私が、蛮勇力のある人間を育てられないこと、そして、もうひとつは、私自身が恐れ、不安を抱え、蛮勇力の衰えを感じ始めているからだ。情けないの一言である。

ならば、私のできることは、二つしかない。

蛮勇力のある人間を私が直接見つけ出し、託し、任せることである。そして、もう一つは、私が、その若者を支える側になることだ。

それが、私がこれまで言い続けてきたことに矛盾しない行動である。四十歳、五十歳になっても、いや、例え三十歳であろうが年齢に関係になく、何年経ってもちまちまと、大胆な発想ができないようであれば、ほんの1年であろうが、5年も10年も継続しようが、もはや見込みはない。

それを今、私は強く感じる。それを打破しなければ、私の役目はない。

私は、私の子供ほど年が離れた後生に任せたいと思う。そして、その後生は、私が畏れるくらい大胆で、私よりももっともっと若者を起用、抜擢できる勇気を持った人であることを願いたい。

それこそが、後生畏る可しだ。そして、それが私自身の蛮勇力。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年2月14日 05:28