【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


リーダーについて  「活・喝・勝」


君子豹変す

朝改暮変という言葉がある。これは、朝に政令を下して夕方それを改めかえるという意味で、命令や方針がたえず改められてあてにならないことを表わす。現実に、一国の主である首相たるものが、昨今は朝改暮変という考えがぶれる人の代表となっている。

コロコロと判断や方針が変わり、リーダーが決めたことがあてにならない。部下たちは、このようなリーダーの下では混乱し、苦労や無駄を感じることだろう。私は、そのようなリーダーにはなりたくない。

しかし、一方で、どんなに熟慮した内容でも、決定を聞いた瞬間の部下たちは、唐突に感じてしまうことだろう。何せ、途中経過を聞いている訳ではないし、そこに至る背景をリアルタイムに理解していたのではないのだから、どんなに丁寧に説明しても、急に方針が変わったと感じるだろう。

朝改暮変というのは、リーダーが先を読む力不足のため、優柔不断に感じ取られる。私がそのようなリーダーになりたくないという意味は、先を読む力不足のため、優柔不断なリーダーにはなりたくないという意味である。

だから正確に言うと、朝改暮変そのものを否定しているのではない。朝と夕方で状況が変われば、その状況変化に対して、対応を至急改めるべきである。先を読む力不足だ、優柔不断だと言われようが、状況変化への対応は必要なのだ。

君子豹変(ひょうへん)す。という言葉がある。

優秀な君子たるものは、時代の変化に合わせて、自分を素早く的確に変えることができるという意味だ。

私は、この言葉の通り、常に変化を求めている。求めるという意味は、常に変化できるように、変化を先取りするという意味だ。しかし、この考え方は、朝改暮変という考えがぶれる人という意味と誤解される。

私は先日、社内朝礼ブログで「半年後について」という記事を書いた。主旨は二つ。ひとつは、私がこれから実行に移そうとすることは、半年前から考えていたという点。もう一つは、私は常に変化を求めているという点である。

私の行動は、これからも、これまでも半年前の考えに基づいている。例えば、社内で今日発表することは、半年前からの構想であり、熟慮に熟慮した内容である。だから、私は、考えがぶれる朝改暮変と言われるのは心外である。

そして、もう一つは、君子豹変すの如く、変化を望み、自らをも変化させていくという考え方である。

私は変化を望む。その変化と相反する言葉は、維持だ。もし維持を、君子豹変すの反対の意味で表現するのなら、優秀な君子たるものは、時代がどのように変化しようとも、自分を決して見失うことなく、信念、考え方を維持することということになる。

このように表現すると、変化も維持も一長一短である。

信念を曲げないという強い意志を持つことは重要だ。

私の信念は、君子豹変すの如く、変化を望み、自らをも変化させていくということだ。この信念は曲げられない。私には、この程度の信念しか持ち合わせていないのだ。あなたは、自慢できるほどの、揺るぎ難い立派な信念を持っているか。

私には、変化すること、その変化を半年前からじっくり考えることしかない。1年以上先のことを考える能力もなければ、一瞬で状況判断をしなければならない俊敏性さえ、私にはない。

半年前から考えていたことが、2か月前に状況変化することもあれば、1ヵ月遅れになることもある。あるいは、3か月も先に前倒しすることもある。私がやれるのは、私が半年前に考えたことを、どのタイミングで、どのように成功させるかである。

私には、時代がどのように変化しようとも、自分を決して見失うことなく、信念、考え方を維持するような高貴な考え方がない。これは、私の最大の欠点である。私の能力の足りないところである。

それは承知している。しかし、残念なことに、ないものはないし、できないものはできない。ならば、私ができること、持っているもので行動するしかない。

君子豹変す。これが私だ。

私は、私である。これを皆に求めるものでなく、私の考えが正しいと唱えるものでもない。それぞれが、それぞれの持ち味を出せば良い。ようは、自分とは何なのかを知り、どうしたいのかを持つことである。それで良い。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年2月28日 05:32