先日、ある人から、「堀田さん無理しすぎだよ」と言われた。「自分にも他人にも厳し過ぎる。もっと肩の力を抜いたら」と。少し、休んだほうが良いと。
私には、それができない。力を抜くことができない。
今から10年ほど前、先輩から「堀田は厳し過ぎる。もっと肩の力を抜け」と言われた。肩の力を抜くというのは、リラックスしろという意味か。それとも、もう少し厳しさを緩めろという意味か。
私は、この会社はもう終わりだと思った。それから数年して、私は疲れ果てて会社を辞めた。恐らく彼のアドバイス通りに肩の力を抜いていたら、会社を辞めることはなかったかも知れない。もしかしたらそれでも会社が潰れることもなかったかも知れない。でも、私は潰れていただろう。
あなたはどういう生き方をしたいか、と問われ何と答えるか。
10代の頃、20代の頃だったらどう答えていたか思い出してみよう。
「長生きなどしなくて良い。でうせ長生きできないから、好きなことをやって死にたい」なんて答えていなかっただろうか。
もし、10代、20代の頃にこのように答えられなかったとしたら、ここから先はもう読まないでほしい。そのような人からすれば、アホらしいと思われる私の考えを、読んでほしくない。
私は、今でも「長生きなどしなくて良い。でうせ長生きできないから、好きなことをやって死にたい」と答える。
私は、無我夢中で生きたい。とことん真剣に生きたい。
今私は、一日に10錠もの薬を飲んでいる。痛み止め、血圧抑制、精神安定など様々である。死にたくないから薬を飲むのではなく、今の仕事を全うするために飲んでいる。
私は、どう生きるかは、どう死ぬかだと思っている。
10代、20代の若者が答えるかのようにカッコよく死にたい。無残な死に方をしたくない。老いぼれて死にたくない。
そのような死に対する思いが、どう生きるかになる。
長生きしたい、年が衰えたら楽をしたいと考えれいれば、そのような生き方になる。
『懸命に生きていないから甘いのだ』の中で、私は、「なぜ、勇気と覚悟がないのか。自分に甘いからではないのか。懸命に生きていないから、自分に甘くなるのではないか。もし、本気で懸命に経営し、社員を守るために必死で、全てを失う覚悟で生きているのならば、自分のほしいものなど、どんな理屈があろうとも二の次のはずである」と言った。
私は、懸命に生きていないから、自分に甘くなるのだと思っている。
それでも、ほどほどにやれるだろう。どう生きるかというより、どう生活するかを考えるのなら、別に無理する必要もない。自分にも他人にも厳しくする必要などない。
しかし、どう懸命に生き、無我夢中で人生を走り抜けるかを考えたら、一瞬、一秒もおろそかにできない。無駄な日など一日もない。気を緩ませる余裕などないはずだ。
ある人は、「長い人生は長距離走だから、短距離走のようなスピードで走ったらもたない」と言う。
本当だろうか。人生は、マラソンのようにペース配分しながら、ゴールを目指すものだろうか。あり得ない。明日死ぬかもしれないし、ゴールなど見えないのだからペース配分などできるはずがない。
私は、「ここから先はもう読まないでほしい。そのような人からすれば、アホらしいと思われる私の考えを、読んでほしくない」と書いた。それは言いかえれば、もし経営者を目指している人、あるいは現在経営に携わっている人が、意図的にスローダウンをして、ペース配分するような人であってほしくないからである。
そのようなマイペースの、必死で懸命に生きられないような人は、私が考える経営者ではない。人の上に立って、頑張れだ、必死でやれだと叫ぶ資格はない。そればかりか、そのような経営者に、出来の悪い社員をクビ切りにすることなど、人間として許されるものではない。
私は、無駄夢中で生きる。
そして、恥ずかしい死に方はしたくない。それが私の生き方だ。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年3月 8日 05:38