数か月前に出会った彼は、豪快だった。ビジネスとは、騙し合い、倒し合い、とにかく勝つためなら汚い手も使うと堂々と語っていた。
恐らく、このようなタイプがのし上がるのだろう。法律に触れないギリギリのところを歩き、契約内容が明確でないものは平気で踏み倒す。裏の世界には、分身を使い、自分はクリーンを装う。やくざではないが、やくざのようなビジネスマンだ。
私は、それでもどのような人物かを確かめるために二人きりで会った。
大物政治家や、有名経営者とも繋がりがあり、きっと数年後には何十倍もの企業になっていることだろう。それは間違いと確信した。
しかし、同時に、このきな臭いやり方には、私はどうしても近づけないとも確信した。
私にはできない。堂々と周囲に迷惑をかけ、相手の弱みに付け込むようなやり方、自分は手を汚すことなく、部下を駒のように使う情のなさ、私には到底真似できない。
私は、これまで何人もの政治家にも会ったが、同じ匂いを感じる。蹴落とし、騙すことよりも騙されるほうが悪いという倫理観、自分には返り血が浴びないように保身する。汚いとしか言いようがない。
このような人間は、誰が聞いて許せないはずだ。嫌いなはずだ。
しかし、私は、そのようなまともことを言いたいのではない。好きだ嫌いだと言っても、結局、彼らのような人間に勝てなければ話にならない。
ならば、どうしたら彼らに勝てるか。そのような汚い手を使う人間にはなりたくないのなら、どうやって勝つか。
汚いことをしても、汚いと感じていない奴がいる、それが世の中だ。しかし、残念ながら、全員とは言わないにしろ、成功しているかなりの人は、その汚いとの境界線上にいる。
私は、ビジネス戦争が、生き残りをかけた熾烈な戦いであるならば、相手の不意を突くような奇策も仕方あるまいと思っている。こちらから汚い手を使わないにしろ、相手が汚い手を使ってくるかも知れないということぐらいは頭に入れて置くべきだろう。
そのことも考慮せず、汚い手で騙されたと言ったとしても、それは汚い手を使われたほうの脇が甘いというべきだ。だから、私は、汚い手を使うことは認めたくないが、汚い手を使う人間がいることは認識しており、それだけで嫌いだと潔癖なことを言うつもりはない。
私が言いたいのは、そのような人間が堂々とのし上がることである。そして、平然としていることである。彼らにのし上がられたというのは、彼らの汚い手に屈伏してしまったということである。まともにが馬鹿を見るのは、まともではのし上がれないことを証明してしまったようなものだ。
そんな馬鹿なことを許せるか。
彼らは決してやくざだけとも言えない。たとえば、元銀行員の社長。銀行を知りつくし、融資や債務について知りつくしている。もし、そのような人間が、借りた金を返さなくとも罪に問われないすべを知っており、それを生業としたらどうなるか。そのような人間に限って、大きくなったりする。法律の届かない汚い手など山ほどあるのだ。
それでも汚いと言っても始まらない。嫌いだと言ってもいなくならない。
汚いというのなら、綺麗な手を使って打ち負かす以外にない。悔しいけれど、汚い手を使った奴に負けるのが悪い。
私たちが、汚い手に負ける最大の原因は、その汚い手を知らなかったからだ。ただそれだけである。
その手を事前に知っていたら、簡単に封じ込める。ようは、相手のほうが上手だったということである。
汚い手を使った奴を憎む前に、その手を知らなかった自分を悔やむしかない。その上で、もう同じ手は使わせない。
世の中には、汚い奴が沢山いる。
いや、綺麗な人間などいないのかも知れない。見えないように隠しているだけか、あるいは小さなだけか。大小の違いこそあるが、対して変わらない。
それで、やられたと言ってもはじまるまい。
ようは、やられないようにするだけである。そして、相手より上手になることである。自分の未熟さを汚いと叫んでも解決しないのだ。
汚い手に打ち勝とう。そのためには、汚い手を使ってくることを、彼らよりももっともっと勉強するしかない。残念ながら、彼らは、綺麗な手を使う人よりも、遥かにもっと研究している。
つまりは、汚い手に打ち勝つには、それを上回る手を持つしかないのだ。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年3月10日 05:38