人々がゆっくりと歩いていたミャンマーから、慌ただしく騒がしいバイクの国、ベトナムにやって来た。
もうこのようにして毎月のようにベトナムに来るようになって3年目を迎えた。
行くときは何も分からずに空っぽの心で行って、帰るときには充実して、十分に満足することを、虚往実帰(きょうおうじっき)と言う。虚にして往き、実ちて帰るとも言う。
私の好きな言葉だ。
これまでの私の役目は、道のないところに道を作ることだった。何もないところに、ほんの僅かなあぜ道を作り、それを舗装してくれる人に後を託してきた。
リーダーの役目は、新しい道を作り、自ら先頭に立って進むことである。
リーダーが自らその道を走り出せば、部下は必ずついてくる。誰もやったことがないことを、誰よりも先にやろうと言い出し、そして自らが実践するのがリーダーだと思っている。
ベトナムに来ると、そのことを、痛感させられる。若さと活気に溢れ、躍動感を感じる。
日本のように、年老いた窓際族など考えられない。自分ができないことを、口だけで司令するようなやり方は通用しない。自らは手本を見せ、自らが動いて示さなければ、誰もリーダーを認めない。
まさに、リーダーが新しい道を作り、自ら先頭に立って進んでいる。
やってみせて、言ってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじとは、山本五十六の言葉である。
リーダーがやってみせることは重要である。
日本には、剣道と柔道がある。いずれも武道である。私は、この何れも経験した。
剣道の世界では、生涯現役だ。指導者も竹刀を持って、弟子と向かい合う。年老いた指導者と若い部下、面を被って竹刀を手にした時から対等だ。
一方、柔道の世界。年老いた指導者は、過去の現役時代とは異なり、若い現役世代を投げ飛ばす力はもう持ち合わせていない。
そして、経営者。
体力があるうちは、剣道と同じく、自ら竹刀を持って、やってみせるべきである。
私は、かつて『ほめて見守る』の中で書いたように、リーダーが必ずしもやってみせるばかりではないと思っている。それは、上司ができることだけしかやらせることができなくなるからだ。
自らは、選手時代に通算で16本しか本塁打を打てなかった荒川博が、不振だった王貞治の持ち味を見つけ出し、一本足打法を考案、そして身に付けさせた。そして、王は、世界のホームラン王となった。
そういう意味で、指導者は、やってみせることができないのを悪いとは思わない。だから、柔道のように、自らは投げ飛ばすことはできなくなっても、過去の経験を元に、部下を指導することがあっても良いだろう。
指導者は、自分ができるできないとは関係なく、自分の指導したことが結果として表れかどうかである。どんなにやってみせても、指導結果が出なければ、やってみせていないのとは何ら変わらない。指導者の役目とは、そういうものである。
しかし、私自身はどうかというと、私は、自らやってみせられなかったら、私は引退すると考えている。
それは、私の役目、役割が、新しい道を作り、自ら先頭に立って進むことであり、かつ、それが私自身だからである。つまり、新しい道を作ることができず、自ら先頭に立って進むことができなくなったら、それはもう私ではない。私の役目の終焉である。
私は、これからもいつまで、虚にして往き、実ちて帰ることができるだろうか。虚のところに向かうことができず、実を持ち帰ることができなくなったら、できるだけ早く、後任にその役目を担ってもらいたい。
体力と気力が続く限り、私は、虚にして往き、実ちて帰ることを続けたい。
ベトナムの日差しは、真夏の日差しだ。暑い。この暑さの中で、熱い気持が続く限り、やり遂げたい。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年4月13日 05:56