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企業経営について  「活・喝・勝」


当たり前のことを当たり前に

私の義父、永山信春は、抽象画の画家である。私は、彼をとても尊敬している。毎週1回、私は、義父としてだけでなく、わが社の顧問的立場として、様々なアドバイスをもらう。

アドバイスの内容は、経営に関してではない。人が人としてどうあるべきかということ、リーダーとしての心得、部下への愛情等である。

画家としての彼の生き方は、社会的批判、弱者の立場、常識の打破である。自分が訴えたいことを抽象画という形で表現する。

抽象画は、見る人に委ねられる。見る人が何をどう感じるか、感じないかである。画家の想いをストレートに表現するだけでなく、ある意味で屈折して表現される場合もある。

作曲家や作詞家は、人々を感動させようという思いで曲や詩を書くとすれば、その思いの通りに人々が感動するかどうかが重要である。笑わせようとして作った曲で、悲しい思いをさせることなど考えていないだろう。

しかし、彼の論によれば、抽象画の場合には、少し違う。自分が感じることと、見た人が感じることが違っても良いと考えている。つまり、彼は、何かを考えさせる題材を提供するという問題提起をしているようだ。

その提起に対して、賛成の人も反対の人も、その題材に関心を持ってもらえるかどうかというのである。

中々、抽象画というのは奥が深く、素人の私には難し過ぎる。

また、画家という職業は、不思議な職業だ。彼が公開する作品は、抽象画でありながら、時々、優しい水彩画を描くことがある。決して世に出ることのない作品だが、私のような素人は、その作品のほうが遥かに素晴らしさを感じてしまう。

抽象画とは違い、綺麗なものはより綺麗に描く。美しいものは、本物以上に美しく描く。悲しそうな絵は、見るからに悲壮感がある。つまり、そのような絵には、彼のストレートな感情がそのまま表現されているのだろう。

先日、そのことについた考えを聞いたみた。

「私の作品は、抽象画。常識の打破だ。できれば、芸術ではなく、芸術からも脱却するような斬新な試みをしたい」と答えた。

ピカソがそうであったように、当たり前の絵は、当たり前のように描く。しかし、彼の世界では、当たり前のことをやりつくし、当たり前のことを越えようとする試みこそが、作品作りだと考えているのである。

今、わが社は、当たり前のことを当たり前のように、スピード感を持って、一気に行動できるようにしようとしている。「当り前のことを当たり前に」がスローガンである。

言いかえれば、当たり前のことができていないということになる。当り前のことができないで、当たり前のこと以上のことができるはずがない。

つまり、基本ができないで、応用も、あるいは非常識な斬新な取り組みもできないということである。

私は、できるだけ早く、当たり前のことを否定し、誰もがやっていないようなやり方に挑戦しようと宣言したい。できるだけ早くだ。

そのためには、できるだけ早く、当たり前のことを当たり前にできるようになる必要がある。

当たり前のこととは、普通の会社が普通になることである。普通以下の会社から普通になることである。普通の会社として当然なことを、劣ることなく、滞ることなくできるようになることである。しかし、この程度の会社で、生き残りなどできない。

当たり前のことをやっている会社など、当たり前のように存在するのだ。だから、当たり前の企業から脱しなければならない。

私は、今期を迎える前の朝礼で「強い組織を目指します」と宣言した。

その中で、「強い組織にするには、まず厳しさを乗り越えられるような集団にしなければなりません。甘さを捨て、当たり前のことを当たり前にできるようにしなければなりません。」と言った。

私たちの仕事も、抽象画と同様に、見る側に委ねられている。どんなに自分たちが強い組織だ、当たり前のことができたからと言っても、お客さまに評価されなければ、何もならない。

お客さまに、そこまで徹底しているのかと思われるような取組を目指したい。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年4月15日 05:58