これまで私は、リーダーの言葉遣いについて、何度も書いてきた。リーダーには、ネガテイブなリーダーもいるし、ポジティブなリーダーも存在する。
かつて『ネガティブな奴』で書いたように、ネガティブなリーダーは、自ずと否定形の言葉を多用する。NOTが付く言葉が多く発せられる。これは、ある意味で持って生まれた素養と、その人の人生観、世界観を表わしているから、そう簡単には変わらない。
本人は、特別意識している訳ではないだろうが、これまで出会ったリーダーを見る限り、概ね保守的な考えの持ち主である。変えることよりも、守ることを優先するという意味で保守的という言葉を用いたが、別に思想的なことを意味している訳ではない。
私は、『口癖は自分を創る』で書いたように、リーダーになるべく人は、リーダーとしての言葉を用いている。
ところが、一部には、自分がリーダーだと誤解している場合がある。
その典型は、断言調の言葉遣いをすることである。
私は、断言調の言葉遣いをする人のことを、基本的にリーダーになり得る人だと思っている。しかし、その中には、リーダーについて勘違いしている人がおり、それは残念なことだと思っている。
断言調の言葉遣いをする人の中で、未来について断言調の発言ができる人は素晴らしい。しかし、過去や現在のことについて、断言調の発言は、決してリーダーとして相応しいのではなく、時には自惚れと誤解されよう。
このように言葉遣いというのは、人間の性格を表わすものであるが、特にリーダーという特別なポジションにつくような人の発言は、なおさら重要なファクターを持つ。
では、リーダーに相応しくない人とはどのような人だろうか。
実は、私は、一瞬で、この人はリーダーに向いていないと感じられる。
その言葉遣いとは、一人称かどうかである。
それが正しいかどうかは経験則でしかないが、私は、私の経験と私の論理によって、一人称の表現ができない人は、リーダーにあらずと思っている。
一人称は、私がと、自分の言葉で語ることである。他人を巻き込んだ発言でないことである。
私のこのブログは、一貫して一人称を用いている。私は、私だという気持ちと、我々はなどというあたかも自分だけが言っているのではないというような腰抜けな表現はしたくないのだ。
私が、一瞬でリーダーに向いていたいと感じる人は、私はという一人称を用いることができない人である。このような人は、前述したようなネガテイブなリーダーもポジティブなリーダーにもなり得ない。
しかも、どんなに断言調の言葉を用いても、自分を保身しているように思え、説得力を感じ得ない。
このようにリーダーの言葉遣いというのは、実に難しい。いや、正確に言えば、難しいのではなく、言葉そのものがその人を表わしているのだから、どうしようもない。
自分はリーダーと思っている人は、そのことを痛切に感じているだろうか。
私は、極めて強く意識している。からこそ、余計に他人の言葉遣いに敏感になる。
そして、同時に私が最も伝えたいのは、言葉遣いがどうだということではなく、言葉遣いにその人の生きざま、性格が表れるということである。リーダーたるものは、言葉が組織、部下に大きな影響を及ぼすことを認識し、自分の性格が言葉となって発せられていることを知らなければならない。
言葉遣いなど関係ないというような無能な人は、リーダーにはなれない。
さらに、言葉遣いだけを意識したとしても、その人の性格がリーダーに相応しくなければ、単なる俳優のようだ。
それほどまでに、リーダーとは、なろうと思ってなれるものでもないのである。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年4月19日 05:00