誰でもできることを、誰もができないくらいに徹底する。これが、私が考える徹底力である。この力を身につけた会社は、活気を持ち、必ず成長すると確信している。
これは、1年前に『誰でもできることを徹底する』で書いたことだ。
ところが、誰でもできることを、誰もができないくらいに徹底するというのは、一朝一夕には行かない。
徹底できないのは、指導者が徹底できないからだ。もっと言えば、指導者が適格な指導ができないからである。
そんな私も、その一人なのかも知れない。
だから私は、過去を振り返り、これまでの指導法を誤りと認め、新しい指導を試みることにした。
その前提として、指導が上手く行かないのは、指導の仕方が悪いということを念頭に置くことである。だから、指導に完璧な形はないから、常にこれまでの指導法は誤りであって、常に反省して、常にもっと良い指導の仕方を試みることが重要だと思う。
仮説を立て、実証して、検証する、これを繰り返すのが指導だ。相手が人間だから、常にこれを繰り返し続けなければ、指導ではない。
その中で最も重要なことは、仮説である。この仮説の基本となる考え方を、私は、大きく転換した。
それは、「これくらいのことは判っているはず」という勝手な思い込みを否定したことだ。個人の尊重や個性を活かすなどという形を変えた表現で、あまり細かいところまでは言わないほうが良いとしてきた。
しかし、それは一種の指導放棄であると思うようになった。
『強い組織と徹底力』の中で書いたように、私自身も「任せる」という軽々しい言葉の元に、放任していた。
ある部下が「そんなこと判っていますよ」と言う。しかし、そのように食って掛かってくる者ほど判っていないことが多い。自分の自由度が制限されるような気がして、細かい指導を嫌うのだ。指導を嫌うということは、本人次第ということになるから、やってほしいことが正しく伝わっているとは限らない。
こんなこともある。「このようにするのだと誤解していました」と、求めていることと違った結果を出してくる。この場合、本人が勝手に自分のやりたい方法で取り組んだという場合と、できなかったことを言いわけにする場合、あるいは本当に誤解した場合。
何れにしても、勝手にやろうが、後から言い訳をしようが、本当に誤解を与えてしまったとしても、その責任は、その人に指示した側の問題であるということである。
そこで私は、そんなことは言わなくても判るだろうというような考え方は捨て、当たり前のことを言うようにすることにした。もっと言えば、しつこいくらい細かいところまで伝え、勝手にやれないように、後から言い訳ができないように、誤解を招かないようにするようにすることにした。
これが、私の仮説の変更である。
これまでの判るはずという仮説ではなく、きっと判っていないはずという仮説に変えたのだ。
きっと判っていないはずと聞くと、そんなに信用していないのかとか、そんなに自分を認めていないのかとなるが、そんなことではない。全ては、誰でもできることを、誰もができないくらいに徹底するためである。そのためには、ほんの僅かな言葉遣いだけで、誤解を招くようなことがあってはならないのである。
あなたは理解できるか知れないが、理解できないかも知れない。しかし、理解できているのか、理解できていないのか、それは判らない。だからこそ、誰にでも例外なく、しつこいくらい判り易く細かく指導する必要があるだ。
しつこいくらい判り易く細かく指導する。私はこれから、指導する側には、判っているはずという勝手な思い込みを捨て、できるだけ判り易く、細かく指導することを求めていく。それは、外国人に仕事をお願いする時のように、判り易過ぎるくらい細かい指示の仕方である。
もし、それができないのなら、指導者、すなわちリーダー失格である。指導力不足ということだ。
そして同時に、指導を受ける側には、それを素直に聞けるよう、私が指導する。「そんなに細かく言わなくても判る」などという上司に対する挑発は一切認めない。そして、同時にそのような人が、一番何も理解していないということを知らせて行く。
誰でもできることを徹底するためには、指導する側の意識改革が必要だ。
そして、誰もができないくらいに徹底するには、例外なく、全員が理解できるように、指導される側の意識改革も必要だ。
私は、私自身が、こんなことは言わなくも判るだろうというような考えはもう捨てた。しつこいくらい判り易く細かく指導して行く。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年5月 5日 05:40