連休中、妻の故郷である沖縄に行ってきた。私の妻の伯父は、大型タンカーを操る一等航海士である。その彼が「船長は最初に船に乗り、一番最後に降りる」と教えてくれた。
船を先導するリーダーである船長の立場を表わした言葉だ。
彼は言った。「苦労もせずにリーダーになったような人は、船長が最後に乗船し、最初に降りてくると全く逆さまに理解しているようだ。今の起業家は、自分の能力のみを過信し、人の大切さを軽んじている」
周囲の御膳立てが済んでから乗船し、後の片付けも周囲に任せて先に降りてくるような人は、リーダーにあらずと言う。自分は才能があるリーダーだと誤解し、会社を作ったくらいのことで、何様にでもなったかのように、人を駒のように扱う。これでは人はついて来ない。
なるほど。
私は、道を作るのが自分の仕事だとして来た。そういう意味では、船長が最初に船に乗るのは理解してきたつもりだが、正直言って、船長が最後に降りるという意識はなかった。
仕える事を仕事と言う。仕事を先導するリーダーは、皆から仕えられる立場だ。人の上に立つような仕えられる人は、誰よりも仕える人でなくてはならないのであろう。
「一番先になりたい者は、全ての人の最後となり、全ての人に仕える者になりなさい」とは聖書の一文である。イエスのこの言葉にも、リーダーたる者への戒めを感じる。
仕えられる立場の人間は、彼らに仕えなければならない。自分が仕えることができなければ、仕えてもらうことなどできないということだろう。
全ての人の最後となりとは、船長が最後に降りるというのと全く同じだ。
考えて見れば、最後になるというのは、最初になるということよりも、中々できるものではない。身近なところで言えば、私は、社員の誰よりも早く出勤し、夏は冷房を、冬は暖房のスイッチを入れて、社員が来るのを待っている。しかし、皆が仕事を終えるのを待って、戸締りをして帰るようなことは出来ていない。
このように例えてみると、朝一番に来て、夜一番最後まで働くことが、皆に仕えることであり、簡単に真似できることではないことが判ろう。その難しいことができるから人の上に立つリーダーなのだろう。
「一番先になりたい者は、全ての人の最後となり、全ての人に仕える者になりなさい」。人の先頭に立つつもりなら、全ての人の最後を歩けというのは、私に欠けている部分だ。
いつも最初のことしか考えていなかったような気がする。最後の後始末が最も苦手であり、眼中にもなかったと反省させられる。
仕えられる側こそが、誰よりも仕える側でなくては、仕える事を教え、実践することはできない。仕えらてもらえないと嘆く上司は、部下に仕えることを実践して見せていないからだ。
仕える事が仕事である。我が我がと自分がやりたいことだけをやっているのは仕事ではない。部下に仕え、上司に仕え、そして、顧客に仕える。社会に仕える。人のために仕えるのが仕事だ。
仕えるという考えが無くなってきている。やってあげている、仕方なくやらされているというのでは、仕えていない。自らが進んで仕える事が働くことである。これができない部下が多い組織は、その組織のリーダー自身が、仕えることをしていないからであろう。
私は伯父に「とてもとても、私はまだまだです」と答えた。
すると彼は、「そう、そのまだまだという気持ちが何よりも大切だ」と言った。
リーダーが自分は完璧だと思ったらお終いだ。常にまだまだという気持ちを持っている人でちょうど良いというのだ。
しかしそのように言い返されると、益々まだまだだと痛感してしまう。情けないほどに、まだまだである。
仕える事を一方的に教えようとすれば、それは傲慢である。仕える事を教えるには、自分が皆に仕えなければならない。そして、リーダーが仕えるというのは、皆を守るという意味でもあろう。
全ての部下が船から無事に降りるまで見届けることだ。自分はさておいて、皆を優先することだろう。それが皆を守るということである。
少しづつであるが、仕える事を、学び、実践して行こうと思う。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年5月 9日 05:42